「英語」が自由闊達な議論を殺す?!
誰もが発言しやすい環境を壊すのは、人間だけではありません。
私がブリヂストンCEO時代に、自由闊達な議論を邪魔するものとして目をつけたのが「英語」でした。
ブリヂストンはグローバル企業ですから、国際的な会議における共通語は英語ですが、この英語がクセモノなのです。というのは、ネイティブ・スピーカーである英米人が、アジアや中近東などの非ネイティブが話す英語を軽んじる傾向があるからです。
なにも英米人だけが悪いわけではありません。非ネイティブも自分が話す英語に自信がないために、遠慮して発言を躊躇してしまう。その結果、ともすると国際会議の各海外事業所の代表が英語がうまいかどうかで決まったり、国際会議での発表者の大半が英米人となってしまうなどの弊害が起きていました。双方の“妙な心理”が働いて、自由闊達な議論が阻害されていたのです。
しかし、私たちの目的は“綺麗な英語”で話すことではありません。英語というコミュニケーション・ツールを使って意見を戦わせることで、グローバル・ビジネスにおける課題を解決することが目的です。であれば、別に“綺麗な英語”で話す必要などないではありませんか。
そもそも、ブリヂストンには14万人超の従業員がいますが、純然たるクイーンズ・イングリッシュを話せるのは、私が知る限りただひとり。彼は、BBCのアナウンサーにもなれるでしょう。それはそれで素晴らしいことだとは思いますが、そのことと「よいアイデアを話す」かどうかは関係がありません。重要なのは、すべてのメンバーに、議論の土俵に上がってもらうこと。そして、彼らが「何を言うか」です。「中身のある」ことを、自由に話し、説明し、相手に伝わりさえすれば、それで十分なのです。