前ザ・リッツ・カールトン・ホテル日本支社長で、 11月11日に『リッツ・カールトンとBARで学んだ高野式イングリッシュ』を刊行した高野登氏。単身アメリカに乗り込み、ヒルトン、プラザホテル、創業期のリッツ・カールトンなど、アメリカの超一流ホテルで20年。一方、夜はストリートバーに繰り出し、“アブナイ英語”で他流試合を繰り返してきた。
日本でも稀有な経歴の高野氏しか語れない、文法ハチャメチャでも「本当に使える体当たり英語」の極意の4回目。超一流ホテル(表の英語)からストリートバー(裏の英語)まで、自ら地雷を踏んでしまった「痛」フレーズとはどんなものなのだろうか?(構成:藤吉豊、撮影:橋詰芳房)
お客様とボスを青ざめさせた私の失敗
人とホスピタリティ研究所所長。前ザ・リッツ・カールトン・ホテル日本支社長。1953年長野県戸隠生まれ。ホテルスクール卒業後、単身アメリカに渡り、 20年間、ヒルトン、プラザホテルなどでホテルマンとして活躍。90年にはリッツ・カールトンの創業メンバーとともに開業に尽力。94年以降、日本支社長 として、大阪と東京の開業をサポート。日本にリッツ・カールトンブランドを根づかせる。
プラザホテルで働いていたとき、私とボスのハンスが、医療関係のコンベンションの件で、お客様と商談をしたときのエピソードです。
お客様が私のほうを向き、
「このコンベンションには日本からも何人かのクライアントが来ます。もちろん、当日はあなたも関わってくださいますね?」
と尋ねてきました。
私は、「自分に任せて欲しい」という意味を伝えたくて、
「Sure. I can manage.」
と答えました。
すると、お客様の表情が一瞬険しくなったのです。
私のボスも、なんだかイラついたような、慌てたような様です。
ボスはお客様に向かって、
「ジョーンズさん、彼(私のこと)はまだ、英語の意味を取り違えて使うことがあります。彼はこう言いたかったのです。
『Certainly, it would be my pleasure.(もちろん喜んで!)』。ご不快な思いをさせて申し訳ありません」