大切なのは勲章ではなくプロセス
目標を達成することで手に入るものを「勲章」だとします。果たして、人は勲章を身につけることでどれだけ変わるのでしょうか。
はじめは誰でも、好きなことをやっている、勲章のためにやっているのではないと考えています。ところが、頑張りが大きければ大きいほど、知らないうちに勲章をもらうことへの期待が高まってしまうのかもしれません。
人から評価されるという勲章、何か新しい仕事を得るという勲章を身につけても、それを天国まで持って行けるわけではありません。しかし、現代の頑張る人たちは勲章を過剰に評価しすぎているように思えてなりません。
確かにもらったときは晴れがましい気分になるかもしれませんが、勲章の威力はそれほど長く続くわけではありません。それに気づいたとき、多くの人は自己否定に入ってしまうのだと思います。
新約聖書に「富は天に積みなさい」という言葉があります。そしてそのあとに「あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ」と続きます。
何に価値を置いているか、何を大切にして生きているかということが問われている。この言葉にはそんな解釈が存在します。
大切なのは勲章そのものでしょうか。
確かに勲章を身につけることで満足できる人はそれでいいのかもしれません。昔は勲章をもらって「オレもよくやったな」と自己満足する人が多かったのでしょう。
しかし、人生においては勲章をもらわなくても自己満足できることは無数にあるのではないでしょうか。勲章をもらうかもらわないかではなく、そのプロセスが大事なのではないかと私は思うのです。
先日、「雀鬼」の異名で呼ばれる麻雀の桜井章一さんと対談したとき、桜井さんがこんなことをおっしゃっていました。
「麻雀には勝ちも負けもない。勝ち負けはどっちだっていいんだ。麻雀は配牌で決まるところが多分にあり、勝ち負けは最後のちょっとした結果だから仕方がない。むしろ、麻雀そのもののプロセスが問題なんだ」
私もこのお話にはまったく同意します。