武勇談をよく耳にする。
パフォーマンスは
面接に効果的なのか。
就職の面接には、昔からたくさんの武勇談がある。
やる気を見せるため、面接の最中に腕立て伏せをしたら通ったとか、伝説っぽく語り伝えられているものは多い。
その武勇談のほとんどが、誰がやった話なのかということを欠いている。
伝説だけが独り歩きしているのである。
武勇談の罪なところは、その話を聞いて、よしそれなら自分も、とマネをして落ちてしまう者たちをつくってしまったということだ。
武勇談が真実かどうかは、この際関係がない。だが、そのようなパフォーマンスに出て失敗した者の話が一つもないことに、注目しなければならない。
失敗談がないのは、失敗した者がいないのではなくて、失敗した人間は自分の失敗を語らないからなのだ。つまり、成功の陰にはその何十、何百倍もの失敗が隠れているのだ。
腕立て伏せをして通った豪傑がいたのは、きっと事実に違いない。ただ、勘違いしてはいけないのは、彼が腕立て伏せをしたから通ったのではないということだ。
もともと、ちゃんと自己紹介も志望動機も言えた上でのパフォーマンスなのだ。だから、本当は、腕立て伏せをする以前に彼は、通っていたのだ。そういうものごとの本質を理解することができない人間は、自己紹介や志望動機もロクに言えないのに、または自己紹介や志望動機が言えないので、腕立て伏せで一発逆転して通ろうとするのである。
武勇談は、物語としては面白く、また面白いからそれだけ影響力を持って伝わるのだろうけど、事実であっても、本質ではないのだ。武勇談からは本質は吸収できないのだ。
これだけ言っても、やっぱり武勇談に惑わされる人は後を絶たない。ということは、もし君が、武勇談に惑わされなくなれば、もうそれだけで、その他大勢から抜け出すことができるのだ。武勇談は、他人の足を引っ張るには有効な作戦だから(もちろん喋っている当の本人は、自分に酔っているので、足を引っ張ろうなんて悪意はないのだろうけど、悪意がないぶん罪つくりなのだ)、OB訪問に行って聞いてきた武勇談を、誰かが受け売りしていたら、ふうんとか言ってニヤニヤ聞いていればいい。
結局、内定した人たちを見ると、いずれもその道一筋に時間と労力をかけてきたものを持っている人たちだった。一般企業でも、瞬間芸で通ろうとする人がいるが、二十何年生きてきてそれしかできないのかと思うと、自分で情けなくならないか?
成功談の陰には、
たくさんの失敗が闇に消えている。