なぜ、古代の彫刻は裸だったのか?
多くの美術書で、約2500年にわたる西洋美術史のスタートを飾るのが「ギリシャ美術」です。ギリシャ美術で見られる彫刻は、そのほとんどが「裸」です。では、なぜ「裸」なのでしょうか?その背景を読み解くと、当時の価値観や文化が表れてきます。
2004年のアテネ・オリンピック開会式では、ダンサーたちがまるで全裸であるような衣装を着て登場しましたが、これは古代オリンピックの競技が、ほとんど裸で行われていたことを表しています。古代のギリシャ人は美しい神々と同じ裸で競技をしていたのです。
ここでいう神とは、キリスト教などの絶対的な神と違い、超人的である一方、喜びや怒り、そして愛憎といった人間的な感情を持った個性豊かな神々です。ギリシャ人にとって人間の姿は、この神から授かったものであり、美しい人間の姿は神々が喜ぶものと考えていました。
ここから生まれた「美しい男性の裸は神も喜ばれる」という思想を背景に、「美=善」という信念・価値観があったのです。男として美しくあることは徳を積むことでもあり、立派な人間になるためには外見の美しさも追求する必要があると考えられていました。
それを象徴するように、紀元前6世紀末以降、アテネでは守護神アテナに捧げられたパンアテナイア祭の際に、定期的に美男コンテストが開催されていました。美しいということは神に近づくことであり、また神もそれを喜ぶという考え方が浸透していたことがわかります。「美男=神への捧げもの」という考え方です。「男は顔じゃない」ではなく、美しいか否かが人格までを決めるほど、美しさが重要だったのです。
ちなみに、美男コンテストにはシニア部門もあったため、若い男性だけがもてはやされたわけではないことがわかります(ただし、シワは老醜と見なされました)。ギリシャ美術の背景にはこうした当時の価値観・文化があったのです。