「ルネサンス」とは何だったのか?

 絵画についても触れておきましょう。絵画と聞いて日本人が思い浮かべるワードは「ルネサンス」「レオナルド・ダ・ヴィンチ」といったところでしょう。では、美術史における「ルネサンス」とはどういった意味を持つのでしょうか。

 その大きな側面のひとつが「美術家の地位の向上」です。15世紀、イタリア人が愛着を込めてクァトロチェントと呼ぶ時代に、フィレンツェを中心として興った新たな建築、彫刻、絵画における芸術的な動きが「ルネサンス」です。ここで、画家や彫刻家といった「美術家」の地位の昇華が起こりました。美術家は、労働者的な職人という社会的地位から、文化人貴族的な地位へと徐々にその地位を向上させていったのです。

 そして、絵や彫刻が上手なだけなのは職人であり、神のように万能の人となって初めて芸術家と見なされるようになります。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519年)は、履歴書で自分のことを軍事技術者と称し、ついでのように彫刻と絵画の技量を記していました。

 そのレオナルドを尊敬していたラファエロ・サンティ(1483~1520年)も、本人は西洋絵画における絶対的な古典(規範=お手本)となりますが、レオナルドと同様に画家としてだけではなく建築家として活躍するなど、万能人としての側面がありました。また、同じ盛期ルネサンス三大巨匠の一人、ミケランジェロ・ブオナローテ(1475~1564年)も、彫刻家、画家、建築家、そして現代的に呼べば空間デザイナーとしてなど、八面六臂の活躍をしています。

 つまり、その人物の精神や知性が反映された作品が、「商品」ではなく「芸術品」と見なされるようになったのです。16世紀以降、イタリアでの芸術修業が必須となるようになって以来、この概念が徐々にイタリア以外のヨーロッパ諸国でも広がっていきました。

 職人から芸術家へと地位が向上したことを象徴する作品として、ミケランジェロが教皇ユリウス2世の命により描いた「システィーナ礼拝堂の天井画」があります。創世記を主題にしたこの天井画ですが、当初の教皇の注文は12使徒を描くことでした。しかしミケランジェロ自身の判断で現在見られる構成となったのです。

 そのこと自体、これまでの職人としての社会的地位では許されないことです。この天井画のハイライトとも言える「アダムの創造」の場面でも、聖書では「神がアダムに息を吹き込んで人間が誕生した」とあるところを、神が指先からアダムに生命を授ける構図で描いています。つまり、完成時に「神のごとしミケランジェロ」と称えられたように、彼独自の解釈や見解が認められたわけであり、そのこと自体が職人ではなく芸術家としての地位が確立されたことの証でもありました。

2018年注目の教養「西洋美術史」の面白さに迫るシスティーナ礼拝堂の天井画の一部「アダムの創造」(1511年頃)。神とアダムの指先が触れようとしている

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