宗教美術が生まれた理由

 欧米に海外旅行に行くと、よく「宗教美術」を目にします。美術史においても重要な位置づけである宗教美術ですが、なぜそれが生まれかをご存知でしょうか。その起源は、キリスト教が国教化された4世紀頃にさかのぼります。

 392年にキリスト教がローマ帝国で国教化された後、5世紀には後の五大総主教区になる5つの主要本山「ローマ教会」「コンスタンティノープル教会」「アンティオキア教会」「エルサレム教会」「アレクサンドリア教会」が生まれました。そのうちのローマ教会の思惑とフランク王国が結びついたことで、宗教美術は爆発的に広がっていったのです。

 フランク王国とは、5~9世紀に西ヨーロッパを支配したゲルマン人の王国です。フランク王国メロヴィング朝の初代国王となったのがクロヴィス1世です。彼の妻がキリスト教徒だったこともあり、彼もまた、496年にキリスト教の洗礼を受け改宗します。ローマ教会は王をキリスト教徒にすることで、西ヨーロッパ中に大領土を持つフランク王国内で、容易に布教ができたのです。

 ちなみに、キリスト教は元々ユダヤ教徒のナザレのイエスによって始まった宗教改革運動であり、ユダヤ教から発生した宗教です。つまり、イエス自身も、そして彼の追従者たちも、元々はユダヤ教徒だったのです。彼ら追従者たちと他のユダヤ教徒との違いは、彼らにとっての救世主がイエスであるということで、「救世主(キリスト)=イエス」がキリスト教の絶対的な宗教原理です。

 そのため、キリスト教が国際宗教へと発展していった際も、ユダヤ教徒の聖典が旧約聖書として共有されていました。しかし、旧約聖書では神の顔を見ることは禁じられていたため、本来ならユダヤ教同様にキリスト教も偶像崇拝を避けるために宗教美術が発展するはずがありませんでした。

2018年注目の教養「西洋美術史」の面白さに迫る聖堂内に飾られた宗教美術(ケルン大聖堂「ゲロ大司教の十字架」970年頃)Photo:Elya

 しかし、文明的に後進圏だったアルプス以北のヨーロッパにおいて、読み書きができない人々にキリスト教の教えを伝えるために、旧約・新約聖書の物語を絵で表した「目で見る聖書」としての宗教美術が肯定され重要となります。その結果、聖堂内には、旧約・新約聖書、そして使徒たちの物語など、キリスト教の教えを伝えるための宗教美術が飾られていったのです。