森嶋が部屋に帰ったとき、ポケットで携帯電話が震えている。

 ディスプレイを見ると、野田理沙の名前が出ていた。昨日、成田で会った森嶋の大学の先輩であり、新聞記者だ。

 そのまま切ろうかと思ったが、どうせあとで電話しなければならないと思い直し、通話ボタンを押した。

〈やはり彼は大統領側近の1人だったわね。社に帰って調べたら、大統領の写真にはたいてい彼が写ってる。目立たない距離にそれとなくね。あまりに若いので記憶に残ってたの〉

「それに先輩好みだし」

〈たしかにハンサムだったので覚えてたのよ。その彼をなぜあなたが成田まで見送ったの。そして、なぜその彼が明日にはまた日本に来るの〉

「そうなんですか。じゃ、電話してみます。今度は、食事しようって」

 来週ではなかったのか。しかし、森嶋は口には出さなかった。

〈断わられるわよ。今回は、ハドソン国務長官と一緒。お忍びじゃなくて公式訪問よ。国務長官の中国訪問は知ってるわね。彼はいま、政府の特別機の中。それにあなたたち、一緒に総理にあったんでしょ。正規の通訳じゃなくて、あなたが総理執務室に入ったって〉

 驚くべき情報収集力だ。それとも日本政府の機密保持能力がゼロに近いのか。

〈教えてあげる。今夜、ハドソン国務長官が日本に着く。総理大臣と会うためにね〉

「日本に寄るのは北京の帰りじゃないんですか」

〈順番が逆になったのよ。日本に寄ってから北京に向かう。当然、総理とも会うんでしょうね。よほど緊急の用なのかしら〉

「僕が知るわけないです。先輩のほうがよく知ってるんじゃないんですか」

〈あなたには友人のロバート君がついてるでしょ。色々と教えてくれるんじゃないの〉

「国務長官と一緒なら、僕と会う時間なんてないですよ」

〈それもそうかもね。ねえ、今夜、私と会わない。帰国のお祝い。おごってあげる。まだ、私のほうがお給料、上だと思うから。でも、いずれ追い抜かれるわね。あなた、そこそこ上に行きそうだから〉

「今夜はダメです。調べ物を頼まれてるんです。上司から」

〈分かってるわよ。せいぜいがんばって、次官を目指してね〉

 そう言うと携帯電話は切れた。

 会っておいた方が良かったか、一瞬、頭に浮かんだがすぐにその考えを振り払った。

 彼女は優秀な記者だ。逆によけいなことを聞きだされるのは間違いない。

 しかし、明日にはロバートが国務長官と一緒に再度日本に来る。北京の帰りと聞いていたが、行きに寄ることになった。理沙の情報であれば、間違いはないだろう。なぜだ。

 森嶋の脳裏には様々な考えが渦巻いている。

 すべての雑念を振り払うように頭を振って、デスクの前に座り直して、キーボードを打ち始めた。

 たしかに、理沙の情報は間違いなかった。

 午後のニュースでハドソン国務長官が特別機で来日したことが告げられた。北京に入る前に日本で1日、滞在することが急きょ決まったのだ。外務省は知っていたはずだが連絡はなかった。

 ロバートも一緒なのだ。さすがに国務長官が一緒だと、気軽に森嶋に電話をしてこない。