FLASHアニメ『菅井君と家族石』誕生。

竹熊 普通アニメを作るような人ってアニメが大好きとか、絵を描くのが大好きという方ばっかりじゃないですか。FROGMANさんは全くそういう発想ではないですよね?

FROGMAN 全部一人でやろうと思ったらアニメが残ったという感じです。脚本は書ける、絵もまあまあ描ける、声は出る、よしアニメを作ろうと(笑)。

年収60万円の頃に制作したアニメが人生を変えた――FROGMANの場合。【前編】竹熊健太郎(たけくま・けんたろう)
1960年、東京生まれ。編集家・フリーライター。多摩美術大学非常勤講師。高校時代に作ったミニコミ(同人誌)がきっかけで、1980年からフリーランスに。1989年に小学館ビッグコミックスピリッツで相原コージと連載した『サルまん・サルでも描けるまんが教室』が代表作になる。以後、マンガ原作・ライター業を経て、2008年に京都精華大学マンガ学部の専任教授となり、これが生涯唯一の「就職」になるが、2015年に退職。同年、電脳マヴォ合同会社を立ち上げ、代表社員になる。4月に『フリーランス、40歳の壁――自由業者は、どうして40歳から仕事が減るのか?』を上梓。

竹熊 でも逆に必要なものは揃っている気がします。一人で作れば安く上がる、アニメもFLASHを使えば安く作れる、脚本は書ける、それにご経験から編集も分かるわけですよね。その作り方は今も変わっていない?

FROGMAN 変わってないです(笑)。今はちゃんとスタジオを使っていますし、作画の一部を振ったりはしていますが。

竹熊 最初の『秘密結社 鷹の爪』のTVシリーズのスタッフはたったの3人でしたよね?

FROGMAN 3人でした。しかもFLASHを初めて使います、という人ばかり(笑)。声優はほとんど僕一人。
 でも僕が実写業界にいた頃からある問題意識としては日本のコンテンツビジネスはお金がかかりすぎる、というものがあったんです。アニメ一本作るのに数千万円、シリーズなら億のお金がかかります、と。そうなるとアニメスタジオは自腹で制作費を負担するのは無理なわけですよ。で、製作委員会方式で代理店、出版、TV局とかが集まって出資しようとなる。こうなるともうビジネスの要求が強くて、いい作品になりそうでもお金が集まらなかったらもう撮ることはできない訳です。委員会が「NO」と言ったら、それでおしまい。
 じゃあ作品を作るときにコストを下げて、誰からもお金を借りなければ自分たちの好きなように作品を作れるんじゃないかという思いがありました。そこで得られるお金もヒットしたら自分たちに還元されるような仕組みに出来ないかと考えていたんです。
 普通はよそからお金を借りる関係上、制作費だけ受け取って、いくら作品がヒットしても残るお金は一緒、みたいなことがよくあったので。

竹熊 それは『菅井君と家族石』を作っていた頃から思っていたわけですか?

FROGMAN ええ、思っていました。『菅井君と家族石』をDVDにするときも「制作費100万円出しますよ」という誘いもあったんですが、僕は断ったんです。当時は年収60万円くらいだったけれど断って正解でしたよ。