「できること」に足りないもの
僕のサッカー人生のスタートは、18歳と遅かった。
その理由は、何でも“それなりに”できたことにあったのだ。
不思議なことに、「それなりにできる」ことは、僕には力にならなかった。
できないわけじゃない。
だから、できないことが悔しくて「できるようになりたい」という気持ちにはならない。
苦労の末に手にする達成感がない。
だからといって、すごくできるわけじゃない。
ゆえに、「この道のプロになろう、もっと極めよう」という目標が持てない。
そのためなのか、僕には「これがやりたい」「これが大好き」「これに夢中」というものがなかった。
でも、そんな僕にもたったひとつだけ、「大好き!」と思えるものがあった。
それがサッカーだ。
小学生の頃、体育の授業や遊びでボールを追いかけるのは何より楽しかった。時間を忘れるという初めての経験が、サッカーをしているときだったのだ。
だから、地元・香川にある少年団のサッカーチームに入りたいと思うのは当然の流れだった。
でも両親が共働きでチームの世話ができないといった家庭の事情があって、入団はどうしてもかなわなかった。
子ども時代、あのときほど悔しかった記憶はない。
中学高校でサッカー部に入らなかったのも、「小さい頃から少年サッカーチームで鍛えてきた人にかなうわけがない」と思ったからだ。
あのときの僕は、サッカーをあきらめていた。
もう無理だと勝手に思い込んでいたのだと思う。
でも高校生になって大学受験が近づいて、自分の将来を本気で考えたとき、やりたくてもできなかったサッカーへの思いが、自分のなかで大きく膨らんでいることに気づいた。
「そうだ、オレは、サッカーをやりたかったんだ」と。
何でも“それなりに”で、何にも熱くなれなかった僕が、唯一夢中になれたもの。
それがサッカーだった。
「今からもう一度向き合おう」と思った。それが18歳のときだった。
そして僕は決めた。「プロとしてサッカーで生きていこう」と。
それまでほとんど経験がないのに、高校3年からサッカーで世界を目指そうというのだ。
当然のように周囲からは「今からなんて無理に決まってる」「始めるのが遅すぎる」と言われまくった。
確かにムチャクチャな夢だったと思う。
でも僕にとって、情熱を捧げられるものにようやく出会えた喜び、そして「やりたいこと」がなかった自分が、とてつもなく大きな夢を持てた喜びは、何ものにも代えがたかった。
「やりたいこと」にチャレンジする人生は、今から始まる。
そこに年齢など関係ない。
何かをやるのに遅いということは決してないのだ。
そう思えたから、いくら「遅い」と言われようとも、サッカーへの道を選ぶことに迷いはなかったのである。
これから(2018年7月現在)は、オランダの1部リーグ・SBVエクセルシオールでアシスタントコーチ/テクノロジーストラテジストとして、新たな挑戦を続けていく。
なお、SBVエクセルシオールの初戦は、8月11日(日本時間 8月12日)のホームで行われるフォルトゥナ・シッタート戦だ。
どんな戦いがスタートするのか、僕自身、楽しみでならない。