サッカー日本代表・本田圭佑選手の専属分析官(アナリスト)の白石尚久氏。
専属分析官とは、本田選手と行動をともにして、彼個人の”戦術参謀”的な役割を担う仕事である。

41歳で本田選手の専属分析官となった白石氏のサッカー・キャリアのスタートは18歳。
驚くほど遅い。部活動未経験で大学の体育会サッカー部にさえ入れなかった彼は、
単身アルゼンチンに渡り、育成選手からコツコツとキャリアを積み上げていく。

そして、36歳の時にアジア人で初めて欧州1部リーグの監督(スペイン女子)に就任。41歳でACミラン、パチューカ所属の本田圭佑選手(日本代表)の専属分析官に―。

あまりに遅い「キャリアのスタート」を挽回するために、白石氏のとった意外な方法とは?
本記事では、初の著書である『何かをやるのに遅いということは決してない。』から、内容の一部を再編集し特別公開する。(まとめ/編集部)

本田圭佑選手は海外クラブでの経験が10年、専属分析官の白石尚久氏も10年以上の海外経験を持つ。
(写真は白石氏が7月よりアシスタントコーチ/テクノロジーストラテジストとしてのキャリアをスタートさせる、オランダ1部リーグSBVエクセルシオールの練習風景)

日本がダメならアルゼンチンに行こう

白石尚久(しらいし・たかひさ)
サッカー指導者
1975年香川県生まれ。高校3年生で本格的にサッカーを始め、明治大学在学中にアルゼンチンに渡りサッカーを学ぶ。大学卒業後、フランスなどでプレーし、27歳で現役を引退。帰国後、大手広告代理店に入社。同時に海外のトップクラブでサッカーのコーチングを学ぶ。2008年からFCバルセロナ(スペイン)のスクールコーチに就任。2010~2012年までバルセロナにあるCEサン・ガブリエルで男子U15コーチ、U12監督。同クラブで2012~2013年スペイン女子1部リーグの監督を務める。女子の指導経験はなく、監督デビューがいきなりの1部リーグ。アジア人としては初めて女子、男子を含めヨーロッパ内1部リーグのチーム監督となる。2015年からスペインリーグ4部のCEエウロパでアシスタントコーチ、監督を務めた。2017年3月より、ACミラン、CFパチューカ所属の本田圭佑選手専属分析官。2018年7月よりオランダの1部リーグ・SBVエクセルシオールでアシスタントコーチ/テクノロジーストラテジストとしてのキャリアをスタートさせる。英語、フランス語、スペイン語、日本語の4ヵ国語を操る。

18歳で本格的にサッカーを始めた僕は、大学の体育会サッカーの入部テストに落ちてしまった。
当時のサッカー関係者たちからは、こんな言葉で慰められた。
「サッカーでプロを目指しても成功できるのは、ほんのひと握りの人間だけ。
人生は長いんだから、サッカー以外の道を選んだほうがいい」
それを聞いて僕は、思わずこう答えた。
「僕の人生をあなたたちに決められたくない。自分の人生は自分で決めます」
心のなかでつぶやいたのではなく、本当に言ってしまった。

一般的な考え方としては、確かにその人たちの言うとおりだ。
サッカーに限らず、アスリートがプロ選手としてやっていける確率はごくわずか。
それは自分でもわかっている。
でも僕は、自分のやりたいことを、自分の人生を、確率だけで選びたくはなかった

こうした経緯もあって、明治大学でサッカー部に入れなかった僕は、
自分の生き方を自分で決めるために一大決心をすることになる。
サッカーをする場、サッカーを勉強する場を海外に求めて、
単身、南米のアルゼンチンに渡ったのだ。

日本やヨーロッパでは、プロ選手になるにはクラブの下部組織に入り、
トップチームに昇格するというケースが多い。
例えばU18(18歳未満)のクラブユースであれば年齢制限によりNGだ。
しかし、アルゼンチンでは20歳までユース扱い(アマチュア契約が可能)ということだった。
言い換えれば「21歳までにプロレベルにならなければクビ」ということでもある。
それでもスタートが18歳と遅かった僕にとって、
「アルゼンチンなら、まだプロに間に合う」という期待感のほうが強かった。
それにアマチュア契約なら大学に籍を置きながらサッカーができる。
大学とサッカーを両立できるというメリットも大きかった。