その人のとる態度で人生に意味が満ちる

 フランクルが囚われたナチスの強制収容所は、死が隣り合わせの絶望的な状況でした。ナチスの士官から暴力をふるわれるのが日常で、次から次へと人が亡くなり、未来への希望を持つことが極めて困難な場所でした。そんな状況で人が、自己の生存に執着する利己的行動をとるのは当然といえます。

 ところが、道徳的観念が地に堕ちてもおかしくない状況で、人に優しい言葉をかけたり、自らパンを分け与えたりする利他的行動をとる人物が存在したのです。

 フランクルはその目撃者であり、同時に、その一人でした。ですので、フランクルは強く主張します。どんな状況に置かれても、どのような態度をとるのか、その決断は本人にかかっており、どんな決断をするのか、そこには常に自由があり、その決断の自由は人間から決して奪うことはできないのだと。

『夜と霧』に、次のような記述があります。

「たとえば各ブロックの囚人代表の中には優れた人物がいたが、そういう人物は彼のしっかりした勇気づける存在によって、深い広汎な道徳的影響を統率下の囚人に及ぼし得る多くの機会をもっていたのである。模範的存在であるということの直接の影響は常に言葉よりも大きいのである」※3

 自分の置かれた状況を急に変えることは難しいでしょう。会社に不満があったとしても、一夜にしてがらりと組織が変化するわけではありません。

 ですが、人はその現実に対してどんな態度をとるのか、それは今この瞬間から変えられます。

 同じ会社、同じ部署、同じ仕事をしていながら、不平不満ばかりで愚痴まみれの人がいる一方で、模範的存在となってイキイキと働く人がいるのは事実です。

 私たちの心を強くするのは、できないことに焦点をあわせることではなく、できることに焦点をあわせて行動していくことです。フランクルは、この「態度価値」を説くことによって多くの悩める人を救い、人の人生を意味あるものにしてきました。

 どんな時にも意味がある。自分の置かれた場所で「態度価値」を実現し、人生を意味豊かなものにしていきたいものですね。

◇引用文献
※1-2『それでも人生にイエスと言う』(V・E・フランクル[著]、山田邦男 松田美佳[訳] 春秋社)
※3『夜と霧』(V・E・フランクル[著]、霜山徳爾[訳] みすず書房)