テレビからネットに雑誌、書籍まで、世の中にはまことしやかな「健康情報」が、日々次から次に流れている。コレを食べると「やせる」「血液さらさらになる」などとテレビで放送されると、翌日にはスーパーからその食品が消えるといったことが繰り返されている。
だが、実際にはその情報の信頼度はバラバラで、何の科学的証拠もないものが「とても健康にいい」と喧伝されていることも少なくない。
では、いったい何を信じればいいのかと思ってしまう人も多いのではないだろうか。
そこで、ハーバードメディカルスクールの教授であり医師としても活躍する著者が、信頼性の高い膨大な研究の網羅的な分析によって明らかになったことを集め、「これだけは間違いなく『いい』と断言できる」という食物・習慣を抽出した。その内容を一冊にまとめたのが『ハーバード医学教授が教える健康の正解』だ。ここでは同書から瞑想について論じた部分を特別に一部を公開する。
「瞑想」をすると何かが得られる?
あるとき誰かが賢人に尋ねた。
「あなたは瞑想で何を得ましたか?」
賢人は頭をふって答えた。
「いや、何も」
それからこういった。
「でも、失ったものはありますよ。怒り、不安、落ち込み、自信のなさ、老いと死へのおそれです」
歴史を通じて、人はさまざまなかたちの瞑想を数千年にわたり行ってきたが、その効果が科学的に解明されるようになったのは、ごく最近のことだ。
これまで挙げられてきた効果は、気分がよくなる、健康になる、しあわせな気分になる、などのほか、潜在意識と顕在意識のあいだにある霊妙な場所を垣間見る、永遠の命を得るなど、じつにさまざまだ。
それは「科学」とは相いれないのか?
そうした効果が実際にあるのか、想像上のものなのかを調べる研究は、最近になってようやく本格的に始まった。またより重要なこととして、これまでもっぱら主観的な経験と見なされてきたことに、客観的な生理学的、神経学的説明が与えられようとしている。
いや、私に聞いてくれてもよかったのに!
妻のアミタは、インドのとてもスピリチュアルな家庭で育った。エンジニアだった義父は、毎日早朝から鹿革の敷物の上で蓮華座を組み、瞑想をしていたという。インドでは瞑想は日常的に行われていて、呼吸を長時間止められる導師たちの妙技が語り継がれている。アミタは高次の意識とつながる呼吸法を、子どものとき独学でマスターしたそうだ。
幼いころの私は、スピリチュアルの世界にはあまり関心がなかった。父はインドの有名な医師で、兄のディーパックと私は、科学的に実証された西洋医学の技法を信頼するよう教えられて育った。
医学を学ぶために兄弟でアメリカに渡ってから、ディーパックは伝統的な超越瞑想に関心をもつようになった。だが当時の私には、お手軽な悟りブームにしか思えなかった。大多数のアメリカ人と同様、そういうものとは関わり合いになりたくなかったし、もうインドで卒業したと思っていた。瞑想と聞くと、黄衣をまとって賛歌を唱えながら練り歩く人が連想された。それでも、アミタに瞑想を学んでみたいといわれたとき、驚きはしなかった。
妻が瞑想を始めてからひと月ほど経つと、はっきりした変化が感じられた。穏やかなオーラをまとっているように見えた。いっそう美しくなり、自信にあふれ、満ち足りているようだった。妻はとくに私に瞑想を勧めるでもなかったが、正直興味をそそられた。
ある土曜日の朝、マサチューセッツ州ケンブリッジの地元の瞑想センターまで妻を送り、車を駐めて待っていたときのことだ。テニスの本を読みふけっていると、コツコツと窓を叩く音がした。そこに立っていた男性は、テッド・ワイズマンと名乗った。聞き覚えのある名だ。兄の瞑想の導師だった。
テッドを車に招き入れ、超越瞑想とはどんなものですか、と聞いてみた。彼はその場で私に入門講議を授け、思いちがいや思い込みを正してくれた。
お酒もたばこもやめる必要はない。静けさと強さに満ちた場所から力を得て、自信をもって仕事にあたれるようになる。そして当時の私がとくに惹かれたことに、テニスでも集中力を高め、もっと強くなれるというのだ。
テニス大会の決勝戦を控えていた私は、瞑想すれば勝てるでしょうかと思わず聞いた。すると「勝てるかどうかは保証できませんが、負けてもあまり嫌な気持ちにならなくなりますよ!」という答えが返ってきた。