美術史の本としては異例となる5万部を突破した『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』の著者であり、新刊『名画の読み方』『人騒がせな名画たち』も好評を博している木村泰司氏。本連載では、新刊『名画の読み方』の中から、展覧会の見方が変わる絵画鑑賞の基礎知識などを紹介してもらう。今回は、ネーデルラントで生まれた「四分の三面像」について解説してもらった。

イタリアの伝統「側面像」と、
ネーデルラントで生まれた「四分の三正面像」

 ルーヴル美術館が誇る最古のフランス絵画のひとつに「ジャン2世の肖像」がありますが、このように、14世紀にもなると王侯など「高貴な人々」の肖像画が制作されるようになりました。この肖像が「側面像(プロフィール)」で描かれているのはイタリアの伝統です。古代ローマを起源とする伝統的な肖像の描き方が、北ヨーロッパでも定着していたことがうかがえます。

制作者不明『ジャン2世の肖像』1350年、60×45cm、ルーヴル美術館

 15世紀になると、ネーデルラントとイタリアで絵画芸術が発展し、肖像画文化が本格的に開花していきます。その背景には経済の発展に伴いゆとりが生まれた社会で、人々の人間・個人に対する関心が強まった結果、人間性の昇格が起こったからでした。そして、都市経済の発展は美術市場の興隆を伴い、個人の肖像を写実的に表した肖像画文化が再び開花したのです。

 ネーデルラントでは、伝統的な側面像ではなく、より自然な「四分の三正面像」が生まれました。15世紀ネーデルラント絵画最大の巨匠ヤン・ファン・エイク(1390頃~1441年)は、簡素化された暗い背景に人物を浮かび上がらせる四分の三正面像の類型を生み出しました。自画像という説もある「赤いターバンの男の肖像」のように、人物を神秘的に浮かび上がらせたスタイルの肖像画です。

ヤン・ファン・エイク『赤いターバンの男の肖像』1433年、26×19cm、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)

イタリアにも伝わったネーデルラント絵画の影響

木村泰司(きむら・たいじ)
西洋美術史家。1966年生まれ。カリフォルニア大学バークレー校で美術史学士号を取得後、ロンドンのサザビーズ美術教養講座にて、Works of Art修了。エンターテインメントとしての西洋美術史を目指し、講演会やセミナー、執筆、メディア出演などで活躍。その軽妙な語り口で多くのファンを魅了している。『名画の読み方』『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』(ダイヤモンド社)、『人騒がせな名画たち』(マガジンハウス)ほか著書多数

 こうしたネーデルラント絵画の影響は、ネーデルラント絵画に魅せられていた15世紀のイタリアにも伝わりました。古代の影響が強いイタリアでは、古代のメダルが側面で表されていた伝統から側面像が多く描かれましたが、やがて四分の三正面像も描かれるようになりました。たとえば、ピサネロ(1395頃~1455年)はイタリアの公女を描いた際には側面像で、そしてハンガリー王を描いた際には四分の三正面像で描いています。

 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519年)が遺した世界で最も有名な肖像画「モナ・リザ」も、四分の三正面像で描かれている点や、ネーデルラント絵画起源の油彩で描かれている点などに、ネーデルラント絵画の影響が定着していたことがうかがえます。

レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』1503~1519年頃、77×53cm、ルーヴル美術館

 そして、「モナ・リザ」が描かれた16世紀に入る頃になると、肖像画は黄金時代を迎え、歴史画に次ぐジャンルとしてさまざまな形で発展していきました。神が創り給うた人間を表す肖像画(人物画)は、歴史画に次ぐ重要なジャンルとして17世紀以降に確立していくのでした。