真ん中の王道が近道なんだよ
「やっぱり近道はないよ
真ん中の王道が近道なんだよ」
今回はタモリさんの言葉です。「真ん中の王道が近道」とは何を意味するのでしょうか。仏教者であれば、ここから「中道(ちゅうどう)」という言葉を連想します。
仏教の「中道」は、理解することも、実践することも非常に難しいのですが、簡単に言うと「極端な見解や実践を離れたもの」となります。
「中道」を示すエピソードが『マハーヴァッガ(大品)』という仏典の中にあります。
悟りを得るために足から血を流すほどの大変厳しい修行をしていたソーナというお弟子さんは、なかなか悟りに至ることができず悩んでいました。
そんな彼に向かって、お釈迦さまは、「琴の弦は強すぎても、弱すぎてもいい音は出ないものです。修行と悟りもこれと同じで、努力しすぎても、怠惰になりすぎてもダメなのです。釣り合いのとれた努力をしなさい」と説きました。
彼はその後、教えを守り、悟りに到達しました。
これは極端な見解や実践を戒めたお釈迦さまの有名なエピソードです。
常に一定を目指して
タモリさんを一度、テレビ番組の収録の場で見たことがあります。カメラが回っているときも準備のときもずっと同じテンションで、常に自然体の方でした。
タモリさんが遊びの場で、「真剣にやれよ! 仕事じゃねえんだぞ!」と怒ったという話や、仕事の場で「やる気のあるものは去れ!」と言ったなどというエピソードからも分かるように、仕事も遊びも一定のスタンスを目指していらっしゃるようです。
仕事をしているときもしていないときも、常に一定だから、「笑っていいとも!」のような長寿番組ができたのだと思います。オン・オフの切り替えをいちいちしていたら、30年以上も生放送の番組を続けることはできなかったでしょう。
また、タモリさんは芸能界で大御所の地位を築いていますが、常に冷静で広い視野を持たれています。タモリさんの名言には、以下のようなものもありました。
「まあ、私も結構活躍しているみたいなんですけども、宇宙から見たらもう、どうでもいいですね」
「人間って『自分がいかに下らない人間か』ということを思い知ることで、スーッと楽にもなれるんじゃないかな」
「好きな言葉は『適当』」
これらの名言を読んでいると、タモリさんの心の中では常に何らかのバランスをとる装置が働いているような気がします。場所や状況に合わせて極端な態度をとることなく、どんな場面でも淡々と。これが生きる上で最も重要だということを、経験の中から学ばれたのでしょう。わたしたちもぜひ見習いたいところです。
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)