このころ、北京の日本大使館主催で、ODAについての対外広報があった。
会場に行くと、外からは何をしているかいっさいわからない。入場は事前申し込みが必要でパスポートを見せて厳戒体制で、参加者は99%日本人だけである。
中に入ると“中国語”のODA広報のノボリや看板で部屋が埋め尽くされていた。壇上には農村から連れてこられた中国人女性が、泣きながら“謝謝、謝謝”(ありがとう、ありがとう)と叫んでいる。
それを日本メディアが日本に報道する。一般中国人は、基本、誰も知らない。日本は「謝罪も賠償もしない!」と怒っている。
まさに日本の対中ODAの縮図である。日本企業は中国からODA案件を受注し、官僚はそこへ天下りする。新聞社やテレビ局の社員は広告で分配を受ける。日本人の税金が日中の上のほうだけで消費され、そういうことをクローズでやるために、日本特有の記者クラブは必要なのである。
この映画のセット的な日中友好演出はその後も続いた。
2007年、王府井での“日本のお祭り”では、非常に高い臨時パーテーションで舞台と座席は全部隠してあった。一般人は中国人も日本人も入場禁止だった。周囲のデパートの窓も全部、目張りしてある。隙間から覗いてみると、壇上に置かれた椅子に並んで座った中国人関係者の足元の地べたで、日本人が順番にドンドコ踊っていた。夜、日本のテレビは、その踊りだけをアップで撮ったシーンと公開パレードを組み合わせて放送していた。
このころはよく中国人と討論した。
で、中国語はけっこううまくなり、友だちは増えていった。
2005年の反日デモは
完全な官営デモ
2005年に中国各地で反日デモが起こった。
情報を得て、朝にスタート場所の中関村の海龍ビルに行ってみた。
すると煽(あお)っている若者も、警察が連れてきているし、どこぞの大学ではバスで学生を動員しているという話も聞こえてくる。
完全な官営デモで、デモの首謀者は警察や撮影機材を抱えた中国メディアと、トランシーバーで打ち合わせをしながら雄叫びを挙げていた。デモ隊の準備が整ったところで、“いいですか?”“いいですよ”“パシャ”という感じで、ちなみに、撮っているカメラはみな日本製。
まず中国メディアが報道して、日本にプレッシャーをかける。
付和雷同で参加しているのは、ちょうど開いてきた格差の下のほうの人々である。
このころになると、私も“反日慣れ”していた。