中国が日本を抜く
その始まりはオリンピックのころから

北京オリピックから中国は一気に経済発展するオリンピツクに熱狂する中国の人々北京オリピックから中国はさらに経済発展する。オリンピツクに熱狂する中国の人々(下) Photo:H.T.

 私の実感では、中国が日本を抜く、その始まりが北京オリンピックのころである。

 オリンピックが終われば下がると思っていた不動産は下がらなかった。

 北京だと、もうどこに行っても日本人であることで優勢はない。80年代から日本人でいっぱいだった日系ホテルや日本食レストランも中国人に“占拠”されていった。

 田舎の長男のような、特別扱いばかりを受けてきた日本大企業の実力はあきらかに落ちた。

 競争奮起して取り戻すのではなく、糊塗するために、官が企業のために法律を変え、意図的に日本の下30%ぐらいを下層にし、ごまかすためにメディアに「日本スゲー」を叫んでもらった……、というのが中国から私が見た日本である。無茶はするが強くなることを目指した中国と逆方向だった。

 当時は日本のメディアは、毒ギョーザや段ボール肉まんなど、面白ネタのアラ探しに必死だったが、中国人は着々と裕福になっていった。

 一般の中国人が、出張でなく“日本旅行”に行きだすのもこのころからである。

 2011年、東日本大震災が起こった。3月11日、当日、北京には当時の東京電力の勝俣恒久会長が、文化人を引き連れて南京から入り、北京にいた。

 日本の新聞はどこも報道しなかった。私は直後に中国のニュースで知った。

 一方、中国人たちは階層にかかわらず、反日野郎も関係なく、東北の惨状に非常に同情的だった。大量に災害の映像が流れ、そこでは“鬼子”ではなく、自分の田舎の両親と同じようなおっちゃん、おばちゃんたちが家を失い、困窮している。中国人は強者からは騙してでもむしり取っていいと思っているが、弱者には優しい。

 2012年の反日デモは、正直、北京住人としては、もうあまり興味を持てなかった。

 中国人の友だちらに、あらためて日本について何かを言われるわけでもない。

「危ないから、どこそこへは行くな」と言われるぐらいである。

 当時、被害を受けた企業や方々はお気の毒だが、政治的に作りこまれる両国の国民感情や、それを演出するメディアにうんざりしていた。