この時代の学生は、子どものときに非常に過激な反日教育を受けている。

北京大学【2002年)での展示会。子どものころから「反日」教育を受けていたノートに日本人をののしるコメントを書く北京大学(2002年)での「反日」展示会。かつては子どものころから強烈な「反日」教育を受けていた。学生は日本をののしる言葉をノートに書いていた(下) Photo:H.T.

 おまけに、当時は中国政府がやたら日本についての“トンデモ情報”を流している。

 それによると、日本は中国にミサイルを向けていて、今なお中国侵略をもくろむ悪の手先のショッカーであり、情報の少ない地方出身の学生はそれを素直に信じている。

 共産党による独裁がそれを維持できるのは、敵がいるとき、経済発展が続くとき、である。

 もちろん地域によって、戦争中には旧日本軍が派手に中国人を殺傷しており、その傷跡もまだ深い。

 その一方で、当時の海外へ行く人々から、チラッ、チラッと“真実の”日本情報が漏れ伝わる。

 当時出国できるのは、まだかなりのエリートか、もしくは密航するような人々かで、情報は二極分化されていた。

 さらにSONYの製品やテレビで繰り返される反日ドラマ、海賊版の漫画やアニメから想像する日本は結局のところ、一般の若者には“正体がはっきりしない怪物”である。

 人間、“よくわからないもの”には恐怖と反感を持つのである。

“泣き女”出現の
ODA説明会

日本といえば、怖いイメージ日本といえば、残忍なイメージで憎しみの対象。北京大学での展示(2002年) Photo:H.T.

 ODAは今もそうだが、現地で知る中国人はほぼ皆無だった。

 日本側は、あれは一部の大手日本企業が中国での受注に使ったので黙っておきたい、中国の方もそんな大金を日本からもらったとバレたら、人民からはツッコミ必至である。

 中国文化的には関係者の「中抜き」というか、「全抜き」も100%ある。

 せめて日本に交渉力があるうちに、中国政府による人民へのODAアピールでも反日ドラマへの抗議でも、何かしていれば、根深い反日はだいぶ変わっただろう。