「理想論」で交渉には勝てない

 私が『交渉の武器』(ダイヤモンド社)を書いたのは、ある思いがあるからだ。
 日本人は優しい。常に目の前の相手を思いやる。争い事を好まず、穏便にものごとを解決しようとする。これは日本人の美点であり、私が日本と日本人を敬愛する理由でもある。しかし、それゆえに交渉で不利益を被っていると感じることが多いのだ。

 日本企業の多くは優れた技術をもつとともに、勤勉で誠実なビジネスを行っている。しかし、グローバル・ビジネスのプレイヤーたちは、日本人の優しさや思いやりの精神に付け込もうと躍起になってくる。争い事を好まない日本企業をターゲットに訴訟をしかけてくる人物や企業が多いのだ。その結果、優れた事業を行っている日本企業が損失を被っているとすれば、それを見過ごすことはできない。

 もちろん、私は、日本人の優しさに付け込もうとする姿勢が非常に気に食わないが、それを指摘して態度を改める相手ではない。相手がそのような存在であることを前提に、こちら側が交渉力を磨くほかないのだ。

 そこで、私が弁護士として、世界中の企業とタフ・ネゴシエーションをしてきた経験を通じて身につけた「交渉を有利に進める鉄則」を、日本のビジネスパーソンの皆様とシェアしたいと考えて『交渉の武器』をまとめることにした。

『交渉の武器』という少々物騒なタイトルをつけたのには理由がある。
 近年、交渉学と称する分野では、交渉当事者が協調しながら両者にとって利益のある合意に至る手法の研究がさかんにされている。たしかに、相手も同じ思想をもっているならば、そのような交渉が成立する可能性はあるだろう。

 しかし、残念なことではあるが、そのような考え方は理想論にすぎない。それは、グローバル・ビジネスの最もシビアな交渉の現場に立ち会ってきた私の嘘偽らざる感想である。

 そもそも交渉とは、当事者間で利害対立があるから行われるものである。対立が出発点である限り、それは「戦い」にほかならないのだ。

 もちろん、いたずらに戦うばかりでは、双方に不利益をもたらすだけだから、平和的解決を望む姿勢は不可欠である。しかし、だからと言って交渉が「戦い」でなくなるわけではない。「戦わずして勝つ」という言葉があるように、平和的解決をめざすのも、あくまで「勝つ(=自分の目的を達成する)」ためなのだ。そのことを強調するために、『交渉の武器』というタイトルを採用した次第だ。

 とはいえ、この本は決して好戦的な交渉をすすめるものではない。
「戦わずして勝つ」のが最良の方法であるのは当然のことだ。ただし、「戦わずして勝つ」ためには、交渉が「戦い」であることを忘れず、冷徹に戦闘準備を行うことが不可欠。もしも、相手の善意や品位に期待して準備を怠れば、相手の思うままに不利な条件を飲まざるをえなくなるだろう。しっかりとした戦闘態勢を整えることができたときにはじめて、平和的解決の道が切り拓かれるのだ。

 この認識を基本に据えて、これからの連載で、私が世界中のツワモノたちと戦ってきた交渉を通して培ってきた「交渉術」をみなさんとシェアしたい。そして、みなさまとともに、日本企業と日本人ビジネスパーソンが世界で力強く生き抜いていくための「交渉の武器」を磨きあげていければと願っている。