「カノプス壺」が
教えてくれたこと
1974年大分県生まれ。大学卒業後はアナウンサーとして朝の情報番組などを担当。2010年に退社後、36歳で福岡市長選挙に出馬し当選。014年と2018年いずれも、史上最多得票を更新し再選(2018年11月現在)。熊本地震の際には積極的な支援活動とSNSによる情報発信などが多方面から評価され、博多駅前道路陥没事故では1週間での復旧が国内外から注目された。『福岡市を経営する』が初の著書となる。
カイロ博物館には「カノプス壺」というものがあります。
死んでミイラになった人の魂が戻ってきたときのために、内臓を保存しておく壺です。ミイラとして体を保存し内臓まで保存する。当時の人たちは、そうしてまで永遠の命を追い求めたのです。
ラムセス二世というエジプトの歴史上で大きな力を誇ったファラオがいます。
彼も永遠の命を求めていましたが、いま残っているのは干からびてカラカラのミイラだけです。私はそのミイラを目の前にして「魂は絶対にこの体には帰ってこない」と、至極あたりまえのことを確信しました。仮にこのカラカラに干からびた体に魂が帰って来たとしても、起き上がった瞬間にボロボロに壊れてしまうでしょう。
一方でエジプトの古代壁画には、子孫繁栄のさまざまな宗教行事がたくさん描かれていました。二度と魂の戻るはずのないミイラと子孫繁栄の行事。このふたつが一瞬にして私の頭の中を駆け巡り、永遠とは「長生きすること」ではなく「生まれ変わり続けること」であると確信したのです。
伊勢神宮が式年遷宮を繰り返して、美しく気高く生まれ変わり、いつもみずみずしくあるように、個々の命は老い滅んでも、種としての人類は、常に活力に満ちあふれている。それこそが「永遠」という営みなのです。
ラムセス二世のように、宗教と政治を司り、権威と権力を握り、とてつもない力があった人間ですら、90年の命でした。どんな人間でも100年も経てば死ぬ。どれだけ権勢を誇っても、どれだけお金を稼いでも、かならず人は死ぬのです。