地方局のアナウンサーから史上最年少の36歳で福岡市長に就任。
逆風のスタートから、いかにして福岡を「最強」と言われる都市に改革していったのか?
就任から8年、2018年11月の市長選では28万票以上を獲得し、
前回の市長選(2014年)に続いて史上最多得票を更新した。
しかし、そこに至るまでの道のりは、第1回の記事のとおり、決して平坦なものではなかったという。
第9回の記事のとおり、地方局のアナウンサーとしては異例の抜擢で
プロレス実況を担当していた高島氏は、
子どもの頃からプロレスが好きだった。そして1冊の本との出会いが、
自身の進むべき道を決めるきっかけとなった。その本とは?
博多駅前道路陥没事故の復旧や、熊本地震の際のSNS活用方法をはじめとした取り組みで注目を集める高島市長は、まさしく福岡市の【経営】者だ。そんな彼の仕事論・人生論が詰まった、初の著書『福岡市を経営する』(ダイヤモンド社、3刷決定)から、その一部を再編集して特別公開する。
<構成:竹村俊助(WORDS)、編集部、著者写真撮影:北嶋幸作>
『たったひとりの闘争』との出会い
私は、小さい頃からプロレスが大好きでした。
学校ではいつもプロレスごっこ。学校にラジカセを持って行き、入場テーマを流して入場。自分が戦わないときは、リングアナや実況役を務めていました。
高校時代に1冊の本に出会いました。アントニオ猪木さんの『たったひとりの闘争』(集英社)という本です。ちょうど湾岸戦争の最中に、当時、参議院議員を務めていたアントニオ猪木さんが、中東のイラクで人質となっていた日本人を救出したときの訪問記でした。
最初は純粋にプロレスへの関心から本を手に取ったのですが、読み進めていくうちに、テレビの報道で伝えられている中東の姿と、本の内容が大きく異なることに疑問を感じるようになりました。またテレビ報道で見るような善悪の単純な構図では語れない状況があるのもわかってきました。そこで、自分でも中東問題について勉強してみることにしました。
正直、高校時代はバンド活動にのめり込んで学校の勉強はほとんどしていなかったのですが、関心を持った中東問題に関しては、さまざまな書籍を読み、熱を入れて調べました。父がタイミングよく関連書籍を買ってきてくれたことも、興味を深めるきっかけになりました。
そうするうちに、マスコミへの不信感が日に日に大きくなっていったのです。そして、真実を知るためにはマスコミや他者の主観を介さずに、自分の目で確かめることが大切だという気持ちが強くなっていきました。
高校1年のある日、担任の先生から、ホームルームの時間を使ってパレスチナ問題について発表するよう言われました。
当時は湾岸戦争が連日報道されていた頃です。私は、友人の名前を国や国際機関の名前に当てはめたオリジナルの教材を作り、「世界一わかりやすいパレスチナ問題」というテーマで授業をしました。クラスメイトからは「とてもよくわかった」とたくさんの声をかけられ、この経験はその後の私の大きな自信になりました。きっかけをつくってくれた担任の竹尾栄一(たけおえいいち)先生には、本当に感謝をしています。
大学に入学するとすぐに「日本中東学生会議」というサークルに携わりました。夏の長期休暇を利用して、日本の学生とエジプトやイスラエル、パレスチナの学生とでディスカッションやフィールドトリップをしながら友好を深める活動が中心です。
当時はまだ電子メールなども一般的ではなかったので、届くかどうか心配しながら手紙を書き、エジプトやイスラエルの学生とやりとりをしていました。そしてヘブライ大学の教授などにご協力をいただきながら、1995年8月には第1回日本イスラエル学生会議、そして第2回日本エジプト学生会議を開催したのです。