キーワードは「自身の再定義」
すべてを捨てることで大波に乗れる
――著書に、ラース・ステンステット副社長が「加藤さん、ここシリコンバレーでは、自分自身をいつも、再定義しつづけるということが大切なんだ」と話す印象的な場面があります。それを「Reinvent Yourself」と表現しています。自身の再定義は、歳を重ねるほど難しいと思いますが、この言葉をどう受け止めていますか。
Reinvent Yourself は、ラース以外にも、シリコンバレーでは多くの人が使っている言葉です。似たような表現は、日本でも「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」がありますし、漢詩にも「死を必すれば則ち生き、生を幸(こいねが)えば則ち死す」があります。ただしこの言葉、シリコンバレーでは、捨て身の挑戦というよりは、成功哲学に近いのです。
たとえば、ロボットで成功した人がその後もうまくいくかというと、実はそうではない。ある時期の成功のパターンみたいなものは、時代の変化とともに変わります。よく知っているからこそ、落とし穴に気づかないことがあります。
僕は、自分が持っているものをすべて捨てなければ、次に来る波に乗って大きなことを実現できないと考えています。しかも、もしすべて捨てたと思っていても、その経験を生かせるときは必ず訪れます。たとえば、僕は銀行マンでのキャリアはすべて捨てましたが、いまでもファイナンスの経験が生きています。
実際、周囲にはそうした人がたくさんいます。たとえば、うちの社外取締役であるデイブ・グラナン(Light CEO)は、もともとVlingoの創業者です。この会社は、アップルのSiriに音声認識技術を提供したNuance Communicationsに買収されています。
つまり、デイブの技術は初期のSiriに搭載され、それで大金持ちになったにもかかわらず、新たにLightという画像処理のスタートアップを設立して、いまなお挑戦している。全部捨てて新しくやる。刺激を求めていく。そんな姿勢がデイブのみならず、多くの人にあるのです。
――シリコンバレーの環境が意思決定までも変えるということですね。
ええ、多くの人たちは社会的なコンテキストを軽視しすぎています。自分の意思決定がこれほどまでに変わるなんて、まったく思っていませんでした。
特にシリコンバレーには、既存の権威に反発し、主流に対抗する文化「カウンター・カルチャー」があります。ベトナム戦争の反戦運動の始まりとなったカリフォルニア大学バークレー校がその代表的な存在ですが、「小さいものは大きいものを倒す」と信じる、社会コンテキストが根底にあります。
自分の人生の半分は、確かに運や実力かもしれません。ですが、残りは社会的なコンテキストが影響を与えていると感じました。
――著書は「日本版ハードシングス」といいますか、スタートアップ経営の実態がリアルに描かれています。なぜこのタイミングにこのような著書を出したのでしょうか。
右も左もわからない日本人が米国に行き、会社を創業し、仲間を募集して、資金調達をして、世界的な水処理の会社に売却する。そういえば、美しいストーリーかもしれませんし、もし僕がいまから振り返ってまとめようと思ったら、過去を美化していたかもしれません。ですが、そんな本が誰かの役に立つとは思えません。
今回の書籍は、フェーズが変わった節目で、スタートアップ初期の混沌として、ぐつぐつと煮えている、熱々の煮物のような状態を読者に伝えたいと思いました。毎月、日経ビジネスオンラインで連載していた原稿がたまった段階でもあったので、これが1つの区切りだと思って本にまとめました。
ここから成長フェーズに入るため、まだまだこれからですし、別媒体に移って連載も続けていくつもりです。
――余談かもしれませんが、著書には要所、要所でコーヒーが出てきますね。
単に好きなんですよね。辛い話をしなければならないときも、「コーヒーでも飲みにいきませんか」と誘えば、スムーズに入り口がつくれるところがあって、コーヒーには助けられています。
1月25日には渋谷にカフェをオープンします。「カウンター・カルチャー」だけでなく、何物にも縛られない「フリー・スピリット」、そして「テクノロジー」という、3つのコンセプトを込めたカフェです。
名前は「メンローパーク・コーヒー」。シリコンバレー的なカルチャーを感じられる場所です。現状に満足せず、大いなるものに挑戦する「クレイジー」な人の集まる場になればと思っています。