■妄想クエスチョン
 □ 「子ども時代の夢は何でしたか?」
 □ 「青春時代、何/誰に憧れていましたか?」
 □ 「もし3年間自由な時間ができたら、何をしたいですか?」
 □ 「もし100億円の投資を得られるとしたら何をしたいですか?」

妄想クエスチョンでも大切なことは「手で考える」ことだ。よほど生真面目な人でない限り、こうした質問に出くわしても、真剣に考えてみる人はいないと思う。つまり、これだけでは「余白」としてのデザインは十分ではないのである。

しかし、ここで1枚の紙を用意し、上に大きく横書きで「子ども時代の夢は何でしたか?」と書いてみよう。

さらに、左端に箇条書きの冒頭記号「・」(ビュレット)を3つ書いてみてほしい。あるいは、「1」「2」「3」と数字を振るのもいい。

するとどうだろうか?

単なる白紙が、あなたの妄想を書き出すためのキャンバスとしての意味を獲得するはずだ。これが僕が言わんとする「余白のデザイン」である。

僕たちは大人になる過程で「実現可能性の壁」を学び、発想力にあらかじめストップをかけるように習慣づけられている。いわゆる「大人の判断」というようなメンタルブロックだ。

ビジョンを駆動力にした強靭な思考を実践したければ、こうした「頭のネジ」を意図的に外す訓練を繰り返すといい。そのときに有効なのが、妄想クエスチョンだ。

なかでも「子ども時代」を振り返る質問は、自分の根本的な関心事などを探索する際の常套手段だと言っていい。

僕がアメリカ留学時代にMITメディアラボの「Learning Creative Learning(創造的な学びを学ぶ)」という授業に出席したときも、冒頭に「あなたが子ども時代に熱中したものは何でしたか?」という質問に関するエクササイズが用意されていた。

MIT教授のシーモア・パパートは、「ずっとおもちゃの歯車で遊んでいる子だった」と自らを振り返っている(*)。僕の場合は、三国志のカードゲームで、強い武将のカードを集めることに熱中していた。いまでも「何かを収集する」ことはすごく好きで、一緒に働くメンバーや仕事のパートナーが多彩な異能の持ち主であることなどにも、そうした傾向が表れていると実感する。

* Papert, Seymour. (1980). Mindstorms: Children, Computers, and Powerful Ideas. Basic Books.

これと似ているのが、「憧れの気持ち」を手掛かりにする方法だ。

憧れというのは、自分自身のワクワクと直結する感情だ。学生時代とか社会人1年目のときに、「この人みたいになりたいな」と憧れていた人はいるだろうか?

SNSなどの普及もあって「有名人」とも距離が近くなっているうえ、価値観が多様化して明確なロールモデルがなくなっているいま、憧れの対象は一人だとは限らない。職場の先輩から有名人、スーパースター、歴史上の偉人まで、思いつく限り自分の憧れを書き出してみよう。

さらに、「頭のネジ」を外す質問としてよく知られるのが、現実ではなかなかあり得ない架空の設定を入れるやり方である。