大難が訪れたときには「恰好!」と受け止める
「神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています」と水泳の池江璃花子選手がツイッターでつぶやいたのは、今年2月のことでした。アジア競技大会で日本人初の6冠を達成して大会MVPにも輝いたわずか5ヵ月後に、白血病であると診断されました。多くの人々が信じられず、大きな衝撃を受けましたが、もっともショックを受けたのは、間違いなく池江璃花子さんご本人でしょう。
闘病生活が続く中、7月4日には誕生日を迎えて19歳になったことを笑顔と共に報告しています。「乗り越えられない壁はない」と自分自身を勇気付けるために言ったのかもしれませんが、大きな災難に対して前向きな気持ちを保とうという彼女の姿勢が伝わってきます。
人間誰しも、人生の中で信じられない災難に見舞われる可能性があります。
以前の連載で、浄土真宗僧侶の安田理深師の災難との向き合い方に触れました。
今回は『趙州録』に書かれたエピソードをご紹介します。弟子に「大難が訪れたときにどうすればよいですか?」と尋ねられたとき、中国の趙州禅師は「恰好(かっこう)!」と答えたそうです。「恰好」とは「恰(あたか)も好(よ)し」ということで、ちょうどいいという意味ですが、この言葉の解釈の1つに、「よしきた!」という捉え方があります。自ら望んで災難に遭遇したいという人は奇特な人はあまりいないと思いますが、災難に直面したときに「恰好(よしきた!)」という前向きな姿勢で臨みましょうというものです。
天台宗の僧侶である阿(おか)純章師は『生きる力になる禅語』という、臨済宗の横田南嶺師との共著の中で、この「恰好」という言葉を解説しつつ、「はじめ塾」創設者である和田重正氏のとび職のお話を紹介しています。
とび職でも間違って高いところから落ちてしまうことがたまにあるそうですが、そんな時は、落ちるより先に自分から飛び降りるのだそうです。怖いと思って目を背けると大怪我につながるけれど、しっかり目を開けて落ちる先の様子を把握しておくと怪我が少なくてすむというのです。これはまさに「恰好」の心境です。
ですから私も「まさか!」と思うような大変なことが起きたら、たとえ心が不安いっぱいでも、「よしきた!」という気持ちで向かって行こうと心がけています。泣いても転んでもどのみち人生の旅路は死ぬまでその歩みを止めることはできません。どうせ一歩を踏み出すのなら晴れ晴れと行きたいものです。
『生きる力になる禅語』(致知出版社)
この話に学ぶことは多いのではないでしょうか?
私は、明石家さんまさんも大切にしているという、モハメド・アリの言葉を思い出しました。ジョージ・フォアマンと対戦したとき、アリは「わざとボディを打たせるんだ」と口にしたそうです。
「相手にボディを打たれているのではなく、自分は相手にわざと打たせている」という前向きな気持ちでパンチを受けていると、蓄積するダメージの体感が違うというのです。全盛期のフォアマンの強烈なボディブローを打たれるという避けられない災難に対して、「恰好」の心境で構えていたといえるでしょう。
災難は誰にでもふりかかってきます。不幸を呪い、災難を憂い、落ち込むよりも、簡単ではないかもしれませんが、「恰好(よしきた)!」という心構えで受け止めて、それに立ち向かっていく生き方を選んでみませんか。
半年ぶりの連載再開です。お寺の掲示板大賞が、今年も7月1日より始まりました。10月31日までお寺の掲示板の作品を募集しております!
7月16日(火)の夜には東京・港区で、「輝け!お寺の掲示板大賞2019」のキックオフイベントが開催されます。2018年掲示板大賞の名作の数々をスライドショー的に振り返りながら、仏教に触れる企画になっています。みなさまのご来場をお待ちしております!
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)