人生は60点で合格

井上:自分自身でいっても、医学部に行って医者になって、そのレールに入った以上は、やっぱり上を目指してやっていくというのが当たり前の世界だとは思うんですよ。
 けれど、周りを見回した時に、みんながみんなうまくいっていないところもあって、同じ医師でもそうですし、先輩でもそうですし、実際、何もかもうまくいっている人なんて、いるわけないんです。
 初めて精神科医になって衝撃だったのが、患者さんの中に医師がいるんですよ。うつ病になった開業医の先生が普通に来院したりするんです。
 開業している病院も何とかやりながら、自分の治療もする。おそらくその開業医の先生は、ご自身の患者さんの前ではそんな姿はあまり見せず、元気な姿を何とか見せつつやっているんだと思います。
 でも、いざ患者として病院に来た時は、正直げっそりしていて、すごく疲弊している感じが伝わってきました。そういう先生はすごく真面目で、地域の皆さんのためにと考えている先生だったんです。
 仕事を続けられるのかなというレベルの精神状態の時もあったので、一度は仕事を休むように言おうかと思ったこともあったほどでした。でも、僕にはすごく言いづらかった。一応主治医という立場ではありますが、同じ医者という職業の中で先輩後輩ということもありましたし。
 そうこうしているうちに、全然違う患者さんで、サラリーマンをしていてうつになり、仕事ができなくなって、最終的にお金もなくなって生活保護になってしまった方がいました。最初はその患者さんにもいろいろ葛藤があったようですか、生活保護になってその人が「お金とか全然ないけど、めっちゃ気楽でいいっすよ」と、ニコニコしていたりするんです。そうなると、幸せって何なのかな、と思い始めたんです。

後閑:なるほど。

井上:本当に、地域の皆さんのために、皆さんからも愛され、医者という社会的地位もあり、すごく華やかな生活をしているはずだと周りからは思われているような人が、一部では仕事を止められそうなくらいまで精神状態が悪かったりする一方、生活保護になって経済的な余裕はないかもしれないが、すごく穏やかというか元気に楽しく生きていたりします。
 そんな患者さんたちを見ていると、本当の幸せって何だろうと思えてくるんです。
 その開業医の先生のように真面目な人は、100点目指して、周りの期待にも応えないといけない。患者さん一人ひとりをよくしていきたいと、全力投球しまくっていたと思うんです。でも、そうなってしまったら、それはたぶんいいことではないと思います。
「診療時間を短くしませんか」といった具体的なアドバイスもしたんですが、そうすると来られなくなってしまう患者さんがいるから、そんなことはできないということで変えられなかったんです。
 100点目指しすぎても、自分の体を壊したのでは意味がないとまでは言いませんが、まったく余裕のない生活になっているから、100点じゃなくて60点ぐらいで合格と思い、自分を許してあげる生き方のほうが絶対楽しく生きられると思った次第ですね。そこがスタートだったりします。

後閑:がんになった患者さんも、がんになった時点でもうマイナスに思ったり、それこそ100点満点目指していたのに思っていた人生とちょっと違う道を歩み始めてしまったみたいな感じになりがちですが、それでも60点で合格と思えたらラクになるのではないかと思いました。

井上:そうなんですよ。
 確かに今、僕も産業医としてやっていて思うのが、定年退職が60歳ではなくなっているので、65歳でも当たり前に働いていますし、70歳で雇用延長して働いている人がいますから、その分、がんで闘病しながら働いている人もすごく増えているんです。
 そうなると、治療と仕事の両立というのが産業医の中でも重要なテーマになっています。
 どういうふうにやっていくかといったバランスの組み方だったりしますが、本人の生活はガラッと変わると思います。今まではほぼ仕事だけしてればよかったけれど、その仕事に当てていた部分をいくらか削って治療に当てなければ、時間や気分を治療に持っていかなければいけなくなりますから。
 仕事が半分になった、半分失った、その半分で治療しなければいけない。
 でも、そうではないんです。両立している、両輪を持っているというように、仕事の時間と、治療というか自分の体と向き合う時間、その2つを持っていると思ったほうが僕はいいと思っています。
 逆にいったら、普通はそれを持っていないので、自分の体はさておき仕事ばかりとなるのです。
 がんで闘病しながら仕事をしている人は、自分の体と向き合ったり見返す時間と、仕事の時間という両輪を持っていると考えるほうが僕はいいと思っています。
 仕事がなくなった、できなくなった、半分なくなった、という失ったことばかり考えていると、たぶん苦しいと思うんですよね。

後閑:今の言葉は、すごくスッと入ってきました。
 時間を病気の治療に取られた、ではなく、自分の体と向き合う時間が増えた、と思えばいいんですね。

井上:病気にならないと、自分の体と向き合う時間なんてなかったりしますよね。
 僕たちは体のプロだとは思うんですけど、それですら、じゃあ自分の体とどこまで向き合っているかと言われたら、かなり疑問です。
 調子が悪くなって初めて、ちょっとやばいなとか、確かに最近ちゃんと寝ていないなとか、睡眠時間が短いなと、やっと思うんですよね。
 がんになったらなったで、確かに何かしら失うものもあるとは思います。ですが、自分の体と向き合うという、すごく貴重な時間を手にしたと考えてもいいですよね。

後閑:私も看取りをする時に、みんな100点を狙いすぎだと思うことがあります。それで苦しくなっている。
 あれもできなかった、これもできなかった、あの時ああしておけば、こうしておけばよかったと思うんですが、誰にとっても100点満点なんてありえないじゃないですか。
 そうではなく、あれはできたよね、これはできたよね、とみんなで共有することで、亡くなる人に自分にはできていなかったけれど、もしかしたら他の人がすごくいいことをしていてくれたり、いい思い出があったと知れば、この看取りは全体的に見ると合格点に達していたと思えるんじゃないかと思うんです。
 目指すは80点とかですが、振り返って60点なら合格ラインを越えた、でいいんじゃないかと。