すべての人にすべてをさらす必要はあるのか?
実際、「コミュニケーションはたいていLINEで、特定の人と行うことがメインになった」という知人がいる。
彼はもともと、FacebookやTwitterのアクティブユーザー。正確に言うと、いまもそれらに自分のアカウントを持っているし、完全にそこを立ち去った訳ではない。ただし、以前に比べると、投稿の数は極端に減っている。たとえば、以前であれば、彼はTwitterに1日平均10~30件、多い時はそれ以上、投稿していた。いまはせいぜい、1日に1件、場合によっては2日に1件程度にまで激減している。その代わりにヘビーユーザー化しているのが、LINEだという。
「LINEに切り替えたきっかけは何だったの?」
僕が質問すると、彼はこう答えてくれた。
「多くの人に自分をさらすことが、面倒くさくなった」
詳しく聞くと、Twitterへの自分の投稿が思わぬ形で見ず知らずの人に揶揄されたことを皮切りに、Twitter上で反論したことで互いに口論のような状況になり、収まりがつかなくなったのだという。
さらにまずいことに、Twitterの投稿はFacebookにも同時投稿される設定にしていたものだから、Facebookのつながりの中でもその口論のやり取りは目撃されていたことになる。当然、そこに「いいね!」をされることはほとんどなく、コメントには「もっとやれ~!」というありがたくない激励までされる始末。図らずとも醜態をFacebookでさらしたことで、いろいろと考えるようになったらしい。
「ついカッとして、大人げなくエキサイトしてしまい、それはそれで反省しているんだけど、同時に気づいたことがあるんだ。ちょっとFacebookやTwitterにのめり込み過ぎていたんだ。ちょっとそれらと距離を置くべきなんじゃないかなって」
彼は付け加えて、こう言った。
「いいことを書けている時はともかく、こうやってダメな自分をさらしてしまうと、ちょっとそこ(FacebookやTwitter)にいるのは面倒な感じがしちゃうんだ」
そのトラブルの矢先に流行し始めたLINEを利用してハマったという彼は、今では特定の人とのコミュニケーションが「一番ラク」で、「かわいいスタンプを付け合うような、たわいもないゆるいやり取りが、ホッとするよね」と言っている。