カメラは文明と文化の狭間を
行き来しながら進化してきた

平野 カメラの話に戻して文明と文化について言うと、日本企業のカメラが世界を席巻している一方で、アラーキー(荒木経惟)さんや森山大道さんのように、世界的に評価されている写真家がいる。欧米の写真家は今、アート寄りになっているから、その二人は向こうですごく評価されているようなんです。特に森山さんが70年代にやっていた実験的な作品は、海外ではとてもできないことでした。

日本の場合は、カメラ雑誌がグラフ誌のスポンサーになっていたから、ひたすら実験し続けることができたようなんです。そのおかげで、日本の写真業界からアート側の人たちがたくさん出てきたのだ、と。もしかすると、それは理想的なコンビネーションなのかもしれません。
文明の利器としての高性能なカメラがビジネス的に成功したのと同時に、文化的なものを生み出していた時代があった。

水野 写真芸術というものが、技術とアートをシームレスにつなげているのかもしれませんね。
第二次世界大戦時に、ロバート・キャパがドイツやフランスで戦場写真を撮っている一方で、アンセル・アダムスはアメリカの山にこもって風景写真を撮っている。どれだけのどかな光景なんだよ、というくらい(笑)。

同じアメリカでもこれだけ文化の幅があるというのも知ることができるし、もしかしたらあのあたりがシームレスにつながったというか、つなげたというか、決定的な瞬間、時代だったのかもしれません。
写真はそうやって、まさに文明と文化の狭間を常に行き来しながら進化してきたのかもしれませんね。

※次回は、美術とアート、アートとデザインはどう違う? 「美しさのカッコよさ」について、二人が語り合います。