数学科からIT企業が脱カーストへの道?

 カースト制度も変わりつつあると知っておくことも大切です。

 近代以降はダリットであっても、頭角を現すチャンスがあります。ダリット出身の大統領(一九九七年から二○○二年まで大統領を務めたナラヤナン)もいますし、モディ首相も下のほうのカーストの出身だといわれています。

 東京裁判のパール判事も、低いカーストの出身でかなり貧しい家に育ちました。しかし、あまりにも優秀なので「この子を学校に行かせよう!」と呼び掛けたカルカッタの大金持ちの資金で勉強し、裁判官になったそうです。インドの良い意味での人材の流動性を感じる話です。現在は、ダリットの子どもへの奨学金制度を設けている州もあります。

 ヒンドゥー教徒は公的な制度以外にいろいろな形で機会と資金援助を得ることができます。なぜならヒンドゥー教には「大いに稼いで盛大にお布施をする」という考え方があるからです。

 5大宗教すべてが、貧しい人や恵まれない人への援助を説いていますが、ヒンドゥー教は特に「たくさん稼げばたくさん寄付できる」という点を重視しています。

 こうして優秀な若者はインド工科大学に行ったり、アメリカの大学に留学してグーグルに入ったりして、事実上の脱カーストを果たしています。

 さらに、ジャーティは現代の職業とは若干ズレがあります。たとえばIT企業は存在すらなかったので、ジャーティでの区分はありません。だからこそ、インフォシス、ウィプロ、タタ・コンサルタンシー・サービシズといった企業が、カーストに関係のない実力本位の雇用を実現しています。

 今はダリットが政治・経済の要職に就くことも珍しくはなくなりました。また、ダリット(指定カースト)と先住民族(指定部族)については、教育、公務員としての雇用、議会の議席において一定枠が確保される制度もあります。ダリットの権利向上を掲げる政党もあるくらいですから、今後もカーストの下のほうの人の権利は拡大していくでしょう。

 差別や偏見も根強いですが、それですべてが決まるわけではなく流動性もあり、優秀な人は活躍しうる――これが二一世紀のカースト制度のリアルだと思います。