大手21行が4グループへ集約
かつての名前のまま生き残った
銀行は1行もない

 60年代から70年代にかけての高度経済成長期は、札幌や東京、横浜を行き来しながら、銀行マンとしての基礎を学びました。
 東京オリンピックや大阪万国博覧会、札幌オリンピックなどのビッグイベントにあわせて、道路や鉄道など多くの社会インフラも整備されていきました。

 2度の石油ショックもありましたが、日本の社会全体は前向きでした。
「明日は今日よりも生活がよくなる」と信じることができた映画『ALWAYS三丁目の夕日』のような時代でした。

 実体のともなわないバブルに日本中が踊ったのが、1980年代後半です。
 個人も企業も、右肩上がりで価格が上がり続ける神話を信じて積極的にカネを借り、モノを買いました。
 株、土地、ゴルフ会員権への投資……空前の「財テクブーム」が生まれたのです。

 日本の土地資産の時価総額はピークには2000兆円を超えて、米国全体の4倍にも達しました。
 日本の1人あたりGDPは米国を抜き、日本型経済モデルが世界で注目されるようになったのも、この頃です。

 バブル真っ盛りの3年間、私は東京駐在の取締役となり、その狂騒ぶりを眺めていました。
 そして、90年代。
 バブルが崩壊すると、日本経済は長い「デフレ」というトンネルに入りました。
 たび重なる政府の景気対策にもかかわらず、景気は低迷が続きました。

 銀行は、膨らみ続ける不良債権に苦しみ続けることになります。
 2000年代に入ってからの銀行業界は、大規模な再編や統合が相次ぎました。
 かつて「大手21行」と呼ばれていた都市銀行や長期信用銀行、信託銀行は、最終的に4グループへと集約されました。
 かつての名前のままで生き残れた銀行は1行もありません。

【次回に続く】