迷ったときは辞書を引く

心に迷いが生じた時は必ず辞書を引く。
辞書は、大きな海に浮かんでいる浮き輪のような存在だ。拠り所になる。
そこにある安心感。辞書があれば心強い。
おぼろげに感じている意味をつかむ上でも、引けば何かしら発見がある。
発見とまでいかなくても考えるスタート地点になる。
ちなみに僕は、紙の辞書を卓上に置いているし、辞書のアプリを購入してスマホにも入れている。新明解国語辞典を引いてみる。
言葉とは…

その社会を構成する(同じ民族に属する)人びとが思想・意志・感情などを伝え合ったり、諸事物・諸事象を識別したりするための記号として伝統的な慣習に従って用いる音声。また、その音声による表現行為。(広義では、それを表す文字や、文字による表現及び人工言語・手話に用いる手振りをも含む)

自分では思い至らなかった。けれども辞書には書いてあった。
言葉の意味には、狭義と広義がある。意味は円のように広がりを持っている。
狭義は中心部分で、「いわゆる」を指し示す。この場合だと、伝え合うために発する言葉だ。一方で、広義では、プログラミングに使われる言語も、手話も、身振り手振りも言葉に含まれるのだ。

心に思うことを、相手に伝える手段のすべてが言葉だ。
書き言葉。話し言葉。歌う言葉。手の言葉。体の言葉。
ダンスの言葉。映像の言葉。写真の言葉。
僕たちは言葉があることでつながり合える。
僕たちは言葉があることで分かち合える。

アテンドの方たちを募集する広告ポスターが完成した。
なんだろう?と思った人も多いだろう。僕たちは堂々と言葉を配置した。

文字だけが言葉じゃないことを知っていますか?

ここにはこう書いてある。

「求む。これがわかるあなたの力を貸してください」

指で文字を表現できる指文字があるということも知った。
広告の下部には、ウェブサイトのアドレス dialogue-in-silence.jp と書いた。
この広告は、普段手話を使っている人たちにしっかりと届いていった。
嬉しかったことが2つある。

一つは、この広告が2018年度の「コピー年鑑」に掲載されたことだ。東京コピーライターズクラブの会員が、審査会にて、応募のあった広告に票を投じ、選び抜き、後世に残すべき広告が掲載されている年鑑だ。
おそらくコピー史上初の手話のコピーではないだろうか。この広告は、何かの賞を受賞した訳ではない。けれど、手話は言葉であり、手話もコピーになることを伝えられたことが嬉しかった。自分の中で確かな手応えのある仕事だった。

2つ目は、とびきりの出来事だった。この広告が完成した時、松森果林さんが僕にメッセージを寄せてくださった。
「私たちの言葉をこんなに素敵にデザインしてくださりありがとうございます」
一人静かにスマホを見て、じーんと目頭が熱くなった。

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