このサイトから目を上げて、周囲のどこかに焦点を当ててみてください。
そのとき、「本当にはっきり見えている範囲」はどれくらいありますか?
実際にやってみるとわかりますが、ピントが合う範囲はまるで針穴のように小さく狭く、周りのものはすべてぼやけてしまっているはずです。
他方、さきほどの絵では、「机に置かれたすべてのもの」にピントが合っています。
現実には、人間の視野にこんな景色が立ち現れることはあり得ません。人間が景色をとらえるときには、無意識のうちに目を上下左右に動かして、複数の角度から見た世界を、脳内で「1つの景色」として再構成しているにすぎないのです。
《アビニヨンの娘たち》ほど極端ではありませんが、この卓上の静物画のように遠近法で描かれたいわゆる「リアル」な絵であっても、じつは「多視点」で見たものが「再構成」されていることに違いはないのです。
そろそろまとめに入りたいと思います。
《アビニヨンの娘たち》が生まれるまで、遠近法は世界を「リアル」に写し出すための、たった1つの「正解」でした。
しかし、ピカソは彼なりのものの見方で、遠近法に疑問を持ちました。そこから「探究」を進め、ついには「多視点でとらえたものを再構成する」という「自分なりの答え」にたどり着いたのです。
《アビニヨンの娘たち》は1907年には完成していたものの、1916年に正式発表するまでの9年ものあいだ、試作品として彼のアトリエに置かれていたといいます。彼自身にとっても、この絵が大きな実験作であったことが窺えます。
ここまでの話で私が投げかけたいのは、「『遠近法』と『ピカソの画法』を比べた場合、どちらがより『リアル』か? どちらがすぐれているのか?」といった問いではありません。
むしろ、これらを材料にして、「『リアルさ』ってなんだ?」という問いについて、今度は「あなたなりの答え」を生み出していただきたいのです。
ピカソの方法が遠近法に取って代わるかどうかはさておき、重要なのは、《アビニヨンの娘たち》がアートの新しい可能性を切り拓いたことです。
彼が生み出したこの「表現」によって、人々は「リアルさ」にはさまざまな表現があり得ること、遠近法はそのうちの1つでしかないのかもしれないということに気づかされたのです。
末永幸歩(すえなが・ゆきほ)
美術教師/東京学芸大学個人研究員/アーティスト
東京都出身。武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。
東京学芸大学個人研究員として美術教育の研究に励む一方、中学・高校の美術教師として教壇に立つ。「絵を描く」「ものをつくる」「美術史の知識を得る」といった知識・技術偏重型の美術教育に問題意識を持ち、アートを通して「ものの見方を広げる」ことに力点を置いたユニークな授業を、都内公立中学校および東京学芸大学附属国際中等教育学校で展開してきた。生徒たちからは「美術がこんなに楽しかったなんて!」「物事を考えるための基本がわかる授業」と大きな反響を得ている。
彫金家の曾祖父、七宝焼・彫金家の祖母、イラストレーターの父というアーティスト家系に育ち、幼少期からアートに親しむ。自らもアーティスト活動を行うとともに、内発的な興味・好奇心・疑問から創造的な活動を育む子ども向けのアートワークショップ「ひろば100」も企画・開催している。著書に『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』がある。