コロナ危機は「災害」である
意思決定の停滞が人災を招く

 2011年3月11日、大川小学校ではラジオで津波の情報が入っていました。教頭、教務主任、安全担当のトップ3の教員も「逃げたほうがよいのでは」と言っており、児童も裏山に逃げようと訴え、保護者も津波が来るから逃げてと訴えていました。

 津波に対する避難方針が学校で共有されていなかった中、「山も危ないのでは」「道路も危険なのでは」といった複数の危険性の板挟みになり、「意思決定が停滞」してしまったのです。「津波が来た!」という地域住民の声が聞こえてから避難し始めましたが、時すでに遅く、巨大な津波にのまれ、生存率わずか5%という戦後学校管理史上最大の惨事となりました。

 今回の新型コロナウイルスが引き起こしている危機においては、建物が壊れたり、避難が余儀なくされたりすることはありません。しかし、これまでの災害と形は異なりますが、緊急事態宣言が出されたように明確な「災害」(disaster)です。日本では「コロナ禍」と呼ばれるようになってきていますが、「コロナ災害」と呼ぶことで、「災害」として認識し、人々の適切な行動を促すことができるようになると思います。

 新型コロナウイルスの危機は、天災でありながらも、それに対する人間の意思決定によって「助かったはずの命」が失われるという意味では、人災にもなり得ます。

 今、世界中で多くの人の命が失われています(4月14日時点で11.7万人)。私たち日本人は東日本大震災で関連死も含め2万人以上もの多くの命を失いました。

 自然災害下に起きた組織の意思決定の過ちによってもたらされた「人災」ともいえる*大川小学校の教訓を生かすことで、日本には多くの命を失うことなく、このコロナ災害の危機を乗り越えられる可能性が残されているのです。

 今こそ、我々は東日本大震災の経験、大川小の事故の教訓から学び、それを実践していくべきときではないでしょうか。それが震災でなくなった方々の命に新たな意味を与えることにもなると信じています。

編集部注*昨年、最高裁判所の「5人の裁判官の全員一致の意見」として340ページにも及ぶ判決文において、大川小学校の事故は人災であることが認められた。