学校教育のなかで「授業を変える難しさ」
をどう乗り越えたのか?
――「授業を変える」といっても、やっぱり学校という社会では、自分だけが方向性の違う「新しい授業」をやるのは、それなりの抵抗とか、やりにくさもあったんじゃないですか?
末永 そうですね。私の授業では、いわゆる“アウトプット”というか、作品の“見栄え”だけを大事にするわけではないので、従来型の授業を変えることへの抵抗というか、難しさはたしかにありました。
たとえば、遠近法の技術をきちっと教えれば、それができるようになる子は当然増えます。簡単に言えば、見栄えはそれなりによくなるんです。
でも、それでは「美術の技術や知識」を教えているだけで、本質的な「ものの見方を広げる」とか、「自分なりの答えを見つける」ということにはつながりません。
美術を通して「本質的なこと」を考えたり、体験したりしようとすると、当然、なかには“見栄えのよい作品”をつくることができない生徒であったり、そもそもアウトプットまでたどりつけない生徒も出てきます。
すると、前年まで他の先生がやっていた「授業の成果」とは全然違うものになってしまう。そうなると、他の先生方から「う~ん」「ちょっとねぇ……」という微妙な反応が返ってくることもありました。
――「作品自体の質」が低いものになってしまうと、美術教師としての葛藤や、周りから理解を得にくいなど、いろんな難しさが出てきたというわけですね。
末永 ええ。でも、だからこそ、私としては途中経過というか、制作の途中で生徒が何を感じて、何を考えて描いたものなのかというところを、できるだけいろんな先生たちにも見てもらえるような工夫はしました。美術の授業で行っているプロセスの部分を伝えていく努力というか。
もう一つ、私はずっと常勤の教師だったんですが、一度、非常勤になったのも大きかったですね。
非常勤になってからは自分の授業だけに集中できたので、常勤だったころよりも時間的にも気持ち的にも余裕ができます。だからこそ「せっかくなら、自分が本当におもしろいと思う授業をやろう!」と思えたんです。
――少し気楽な立場で“ゴーイングマイウェイ”になれたというのは大きいですね。
末永 非常勤だったときには、働きながら東京学芸大学の大学院へも通っていて、美術教育を専攻していました。
そういった大学の先生たちの存在も大きくて、私の思いとか、考えていることを話したり、発表したりすると、最先端の先生たちは全然びっくりしないんですよね。すごく当たり前の反応というか「そうだよね。そういうことだよね」「これがいま、いちばん必要な力だよ」と割とあっさり肯定してもらえたんですよね。それで自信を得たというか、確信を得られたという部分もあったと思います。
実際、大学などの研究機関では、美術教育というのは技術とか、狭い意味での知識を学ぶことよりも、もっと広い意味での知識とか「人生に生かせるようなことを教えよう」という方向へ向かっています。