「よんなな会」をオープンにしたワケ
藤田:年々規模が大きくなっていく「よんなな会」ですが、コミュニティを維持していく上で、危機はなかったのですか?
脇:大きな危機は、これまでに2回ありました。最初は、「よんなな会」を始めて3~4年目に差し掛かった時のこと。僕の仕事が忙しくなって、一度中止したことがあるんです。「よんなな会を開催します」と告知した後に、「やっぱりできません」と。この経験は結構、大きかったですね。
僕は世の中を良くしたいと思ってやっているけれど、僕がやらないと言ったら活動が止まってしまった。つまり、「よんなな会」は単に自分がやりたいからやっているだけで、本当に世の中に求められているのだろうか、と感じたんです。本当に価値があることなら、僕の意志に関係なく開催されるはずだろう、と。
そこから、いかに自分が知らない人にも届けていくかということが大事なんだと思うようになりました。僕がやりたいから動くのではなくて、みんながやりたいと思って集まる組織をつくらないといけない、と。そこから規模を拡大して、400人、500人と増やしていきました。それが1回目のターニングポイントです。
もう一つのターニングポイントは、「よんなな会」を開放した時のことです。僕自身、「よんなな会」はそれなりに苦労して、時間をかけてつくり上げてきたコミュニティですから、やっぱり執着してしまっていたんです。ある時までは本当に細かい部分まですべて指示しないといけないと感じてもいたんです。
ただ世の中の人に知ってもらうためには、「よんなな会」がもっと使い倒されなくちゃいけない。僕が囲ってきたものなんて本当にちっぽけなものです。それで世の中が良くなったかなと問うた時、これはもう世の中の人に使い倒してもらったほうがいいと感じたんです。
藤田:コミュニティのオープン化をしたわけですね。
脇:2018年のことでした。そこから動きがバッと広がっていったんです。それまでは本当の意味で、「コミュニティをつくろう」と僕が思っていなかったように思います。
河原:そのタイミングで、「公務員限定」という枠を外したんですか。
脇:はい。公務員だけで世の中を良くできるわけではありません。所属を問わず、心が通じ合う人たちと一緒に、新しい挑戦ができる世界を目指したい。分科会のような場では、「自由に誰でも参加していいですよ」と方針を変えました。そこで「よんなな会を開放します」と宣言したんです。
ただ、いきなり何かやりましょうと言ってもハードルが高いので、最初は「みなさんの周囲に、可能性の塊のような人はいませんか」と募集したんです。「志のある人たちを探してください」とお願いしたら、70くらいの企画が集まりました。しめしめと思って、提案した人に「やろうよ!」と声をかけて「よんなな会」を開放していったんです。
これは見方によっては「よんなな会」のブランドを希釈する行為でもあります。それでも先にルールをつくるより、動く中で浮かび上がってきたものを、口で伝えていく方が面白いと思っています。
僕は別に「よんなな会」で稼ごうとは思っていません。営利目的で運営するなら、たくさんのルールで縛って、画一化されたシステムをつくったはずです。でも、それではもったいない。僕たちだけが運営サイドにいて考えていても、最上級のものは提供できない。いろいろな人が関わることで、より良い発想が生まれると、僕は思っています。
もちろん失敗もありますが、それは学習してリカバーすればいい。それよりもみんなが自由に発想して、クリエイティブなものが生まれるプロセスを共有した方が、いいと確信しています。
そういった意味では、僕自身がコミュニティに関わり続けなくてもいいんです。自主的に運営するコミュニティが誕生するのは大歓迎です。たくさんの「よんなな○○会」が生まれた方が、みんながワクワクできると思います。僕はコアの部分だけを見ていければいい。