2019年末刊行の『世界標準の経営理論』で、日本企業が陥った進化の袋小路を鋭くえぐった入山章栄教授。今回は、先ごろ『ネットビジネス進化論』(NHK出版)を上梓したばかりの尾原和啓氏を迎え、ネットビジネスのこれまでとこれから、日本人のグローバル化、若い世代に託した思いなど、縦横無尽に語り尽くしたオンライン対談の模様をお届けする。理論と実践に裏打ちされたお二人のやりとりを読めば、新たなビジネスチャンスを手にすることができるかもしれない。(構成/田中幸宏)

41回の連載で唯一、『世界標準の経営理論』に掲載されなかった論文で伝えたかったこと

尾原:入山先生、今日はよろしくお願いします。ずっとお会いしたかった入山先生に僕の本を読んでいただけて、本当にうれしく思っています。さっそくですが、『ネットビジネス進化論』、いかがでしたか?

入山:よくぞここまで網羅的な本を一人で書かれたな、というのが率直な印象です。GAFAだけ、ブロックチェーンだけ、eコマースだけ、eスポーツだけを扱った本はそれぞれあっても、それを1冊で全部読める本は珍しいし、しかも、それぞれスターティングポイントから現在までの流れをコンパクトにまとめてあるのもすごいです。

 尾原さん独自のインサイトも圧倒的で、私もノートをとったところがいくつもありました。ネットワーク外部性のように既存の理論の話もありながら、インテンションとアテンション、機能価値と感情価値、フロー情報とストック情報など、長くネット業界にいた尾原さんなりの独自の見方も随所に盛り込まれていて、コンセプトの整理がすばらしい。たとえば、アマゾンと楽天は同じに見えて、実は全然違う商売をしているといったことがきちんと説明されています。

尾原:ありがとうございます。ネットビジネスは過剰な競争、過剰な進化淘汰圧力にさらされた結果、さまざまな形に分化して、いまの姿になったというのが、この本のコンセプトです。進化は一方向だけに進むのではなく、ゴキブリや深海魚のように太古の昔からずっと変わらずに生き残る方式もあれば、時代に合わせて分化を繰り返す方式もあります。

 おもしろいのは共進化で、楽天が楽天らしくなったのはアマゾンがいたからです。一方、ヤフオク!があそこまで伸びたから、メルカリがメルカリらしくなったわけです。みんなが自分らしく進化すれば、ネットの世界はもっと豊かになる。そう思ってこの本をつくりました。

入山:尾原さんの本には歴史も書いてありますが、私の『世界標準の経営理論』は経営の本なので、歴史は出てきません。ただ、あの本は『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』の全部で41回の連載に加筆・修正してまとめたのですが、実は、1回分だけ本に載せなかった連載があります。それは「テクノロジーが企業・組織・人に及ぼす影響は数千年を経ても変わらない」(DHBR 2018年1月号)というチャプターなんです。

尾原:おもしろい! 僕はあの連載を全部クリップして残してあるので、あとで探します。

入山:メルカリの話が出ましたが、フリマというか、マーケットの起源をたどっていくと、鎌倉時代の寺社町などの市場が日本のプラットフォーマーの走りです。尾原さんの本には、後発のヤフオク!がオークション市場で勝ったのは、楽天と違って制約がないため、手数料を無料にできたからだという話が載っていましたが、それは織田信長の楽市楽座と同じ発想ですよね。

尾原:まさにそうです。歴史から学べる。

入山:ブロックチェーンというのは、相互監視して信用を形成する仕組みですが、実は、江戸時代にも似たような仕組みがあって、それは株仲間です。株仲間は何をやっていたかというと、互いに台帳をシェアしていたんですよ。台帳をシェアしているから、誰も裏切れないのです。改ざんもできない。そもそもブロックチェーンも「分散台帳」と呼ばれますよね。

尾原:へえ! 本当の意味でのブロックチェーンじゃないですか。「ブロックチェーン=仮想通貨」だと思い込んでいる人が多いけれど、あの本質は台帳の交換ですからね。相互監視システムをトランスペアレント(透明)にするから、お互いに信頼できる。

入山:そういうチャプターがあったのですが、書籍にするときに、「さすがに遊びすぎだろう」と担当編集者に言われて、落としました(笑)。

尾原:ちょっと浮いちゃう感じですね。

「フリクションレス」と「イネーブラー」――入山章栄教授が注目したネットビジネスのキーワード入山章栄(いりやま・あきえ)
早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授慶應義塾大学経済学部卒業、三菱総合研究所で調査・コンサルティング業務に従事した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。Strategic Management Journalなど国際的な主要経営学術誌に論文を発表している。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』(英治出版、2012年)、『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』(日経BP社、2015年)。最新刊に、『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』誌の連載をベースに、世界の主要経営理論30を完全網羅した史上初の解説書、『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社、2019年)がある。

尾原和啓(おばら・かずひろ)
IT 批評家。1970年生まれ。京都大学大学院工学研究科応用人工知能論講座修了。マッキンゼー・アンド・カンパニーにてキャリアをスタートし、NTTドコモのi モード事業立ち上げ支援、リクルート、ケイ・ラボラトリー(現:KLab、取締役)、コーポレイトディレクション、サイバード、電子金券開発、リクルート(2回目)、オプト、グーグル、楽天(執行役員)の事業企画、投資、新規事業に従事。経済産業省対外通商政策委員、産業総合研究所人工知能センターアドバイザーなどを歴任。著書に、『IT ビジネスの原理』『ザ・プラットフォーム』(共にNHK 出版)、『モチベーション革命』(幻冬舎)、『どこでも誰とでも働ける』(ダイヤモンド社)、『アルゴリズム フェアネス』(KADOKAWA)、共著に『アフターデジタル』『ディープテック』(共に日経BP)などがある。

面倒くさくなければ、人は好き勝手にサービスを使い始める

入山:で、私が言いたかったのは、経営やビジネスというのは何千年も前から続いており、しかも人がやることだから、その本質は、実はあまり変わらないということなんです。ところが、尾原さんの本のテーマであるネットビジネスは、変化のスピードが速すぎる。ここ20年くらいの環境の激変で、いろいろなビジネスが出てきて、その本質をとらえて説明するのは、僕の本と比べても、むしろめちゃめちゃ大変なはずです。

尾原:ネットの進化はたしかに速いですが、ネットビジネス発祥の地であるシリコンバレーには進化することをよしとする姿勢があって、アメリカ東海岸に対する西海岸の自由な空気は、古くは開拓時代のゴールドラッシュに始まり、映写機を発明したエジソンの特許の縛りを嫌った映画人たちが西海岸に逃げてきてハリウッドをつくって、さらに東海岸のエスタブリッシュメントに対抗するヒッピー文化の流れをくんでシリコンバレーができた。そういう裏側にあるディシプリンをずっと考えてきたのです。

 入山先生の『世界標準の経営理論』がすごいのは、理論とディシプリンを自由に往復するところです。理論の本でありながら、経営者がどういう態度・姿勢で自分の会社、競合関係、社会と向き合っていくかが浮かび上がってくるところがすごく好きです。

入山:ビジネスは人間がやるものなので、どんなにテクノロジーが発達しても、最後は人間がどうしたいか、どう考えて、どう決めるかというのが経営学だというのが私の理解です。で、尾原さんの本もよく見ると、人間がやりたいことを加速するのがテクノロジーだと書いてある。今回すごく勉強になったのは、「フリクションレス」という言葉です。

尾原:摩擦(フリクション)がなくなる。

入山:早い話が「面倒くさくない」ということですよね。パート1がとにかく痛快で、みなさんキャッシュレス経済でデータがたまって云々とか言っているけど、いちばん大事なのはフリクションレスで、『面倒くさくないかどうかが本質なんだ』と書いてあって、そのとおりだなと。

尾原:人間は面倒くさがりだから、ネットによって面倒くささを取り除いてあげると、勝手に異様な使い方、過剰な使い方をし始める人がいて、その過剰な使い方の中にこそ、イノベーションの種があるんです。本の冒頭で紹介した、メルカリでなぜ使いかけの口紅が売られるかという話がまさにそれです。

両利きの経営――知の深化はAIに任せて、人間は知の探索に特化する

入山:この本を読んですごく気に入ったのは、パート1に出てきた「イネーブラーによって人間は人間がやるべき仕事に集中できる」という部分です。

尾原:はい、ネットサービスによって人間ができることを増やすのが「イネーブラー(enabler)」です。

入山:最近、デジタル系のスタートアップに呼ばれて講演する機会も多いのですが、そこで話しているのは、『両利きの経営』でいう「知の探索」と「知の深化」のうち、既存の知識を深掘りする「深化」のほうは、AIやRPA(Robotic Process Automation)で代替できてしまうということです。一方、「探索」は、認知の外に出て、遠くにある幅広い知識を組み合わせる必要があるので、失敗も多い。でも、逆に言うと、「探索」は人間にしかできないんです。

尾原:AIにはいわゆる「フレーム問題」があって、どのフレームの中で深掘りするかを決めてあげるとめちゃくちゃ速いけど、フレームそのものを選ぶためには制約がなさすぎて膨大な計算が必要になってしまうので、いまのところ、人間のクリエイティビティには勝てないとされています。

入山:そうですね。マシンラーニングは正解を見つけるものだけど、知の探索は失敗を受け入れてガンガンやりましょうということなので、非常に人間的な作業です。ただ、一般論として、企業はどうしても深化に偏ってしまうので、探索ができなくなる。その結果としてイノベーションが起こせない。だから、深化と探索のどちらも必要というのが、両利きの経営です。

 両利きの経営という言葉は私が考案したんです。2012年にはじめて出した『世界の経営学者はいま何を考えているのか』に、両利きの経営という言葉が出てきます。英語のambidexterityは、日本の経営学では「双面性」と訳されていたんですけど、ambidexterityにはもともと「両利き」という意味があるので、一般の人にもわかるように私がつくりました。拙著『世界標準の経営理論』でも徹底解説しています。

尾原:日本人の「深化=深掘り」する能力は世界一だと思うんです。ただ、「探索」するのは日本人は苦手で、世の中が新しいことを求めるようになったときに、自信を失ってしまった。そんなとき、「両利きの経営」という言葉が出てきて、深化はもともと得意なんだから、探索を身につければ日本企業もまだまだイケるんだと、日本人に自信を取り戻させた。いいネーミングだと思います。

入山:ありがとうございます。それこそ最近、『両利きの経営』でW解説をした冨山和彦さんとも親しくさせていただいていて。

尾原:冨山さんの出たばかりの新刊『コーポレート・トランスフォーメーション』も、4分の1くらいは両利きの経営の話でした。

入山:冨山さんのおっしゃることには私は100%同意で、DX(デジタルトランスフォーメーション)を含めたコーポレート・トランスフォーメーションは賛成、というより、やらない会社は潰れると思っています。ただ、それは他の会社がやっているからではなくて、知の深化はAIやRPAに任せてしまって、そこで浮いたホワイトカラーのリソースを、知の探索側に移しましょう、それが実は人間らしい作業なんですという話をしています。その結果、先ほど尾原さんがおっしゃったように、思いもつかない過剰なものが出てきたりするのが重要です。イネーブラーで、お店の予約やレジまわりを楽にしてあげることで、人間は人間がやるべきことに専念できるという話もそこにつながります。

BtoBイネーブラーでスモールビジネスを加速する

尾原:飲食店をやる人の不幸は、人気のお店ほど予約の電話がいっぱいかかってきて、料理に専念できないということです。しかも、いいお店はだいたい店主もいい人なので、「ごめんなさい、いまちょっといっぱいで」とていねいにお断りして、余計に時間がかかってしまう。ネットの予約サービスを使えば、その時間を目の前にいるお客さんを喜ばせることに使うことができるし、キャッシュレス決済を全面導入すれば、レジ締めの作業もいらなくなって、お店を閉めて掃除を終えたら、すぐに帰宅することができます。

 そうすると、お店の人は料理の幅を広げて、おいしいものを探索することに時間がかけられるし、一人ひとりのお客さんをどうやってもてなすかということだけ考えていればいい。これは「ヒューマナイズ」と言って、もともとビル・ゲイツも投資している無料の教育プラットフォームを始めたサルマン・カーンさんが言った言葉なんです(サルマン・カーン | TED2011「ビデオによる教育の再発明」)

入山: カーン・アカデミーですね。

尾原:もう1つ、2018年のTEDで、元グーグル・チャイナ社長のリー・カイフさんが「AIによって私達は人間らしさを取り戻せる」というスピーチをしています。AIは基本的にリピートする作業をどんどん自動化・最適化していくけれど、クリエイティブなものは弱いよね、というのが一般的な見方なんですが、リーさんはもう1つの軸があると言っていて、「お前に言われたらやるわ」というコンパッション……。

入山:共感ですね、わかります。

尾原:「クリエイティビティや戦略」かつ「共感が必要」というマトリクスの右上の領域が、人間にしかできないことで、逆に言うと、いちばん人間らしいところでもあります。それ以外の3つはどんどんAIに任せていけばいいんですが、AIと人間の役割分担はそれぞれの領域で違うとリーさんは言っています。

入山:完全に同意ですね。

尾原:日本にiPhoneが登場して12年、社会のすみずみまでスマホが行き渡って、さまざまなBtoCビジネスが立ち上がりました。その結果、大量のデータが吸い上げられるようになり、ビッグデータとAIが急速に進化して、いまやBtoB、さらにはスモールビジネスの領域まで、ネットの恩恵が行き渡るようになってきました。

入山:SaaS(Software as a Service)が出てきたことで、中小企業や個人商店など、コストの面で大きなシステムを入れられなかったところでも、SaaSだと安く利用できるので、そこが大きく変わりますね。

尾原:そうなんです。イネーブルすることによって人間らしさにフォーカスできるようになるし、AIとプラットフォームという組み合わせを利用すれば、中小企業の方々でも、未知の領域を探索するところに力を配分できるようになるわけです。

>>対談第2回を読む