「意識は高いけど、品質が低い人」の思考回路

 だって「今までのやり方の価値」をきちんとわかってない人から、何を言われても聞く気になれないじゃないですか。「お前、全然わかってないだろ!」「わかってないから、そういうこと吠えてるだけだろ」って気持ちに絶対なりますよ。

 でも、言ってる側は「あの人、全然わかってくれない」「この組織はダメだ」「時代にキャッチアップできてない」と思っている。

 周囲に話を聞いてもらうには、

①「言っていることは正しいし、伝え方もマイルド」
②「言い方はきついけど、認めざるを得ないほどの圧倒的な能力や実績がある」

 このどちらかである必要があります。どちらでもない人は、残念ながら「意識は高いけど、品質は低い人」と言わざるを得ない。

 意識が高いのは認めますけど、その人自身がリスペクトされていなかったら、改革なんてできません。そもそも、話を聞いてもらえないんですから。

 相手に対する傾聴力が必要ですし、それをすることで、話を聞いてもらえる「被傾聴力」も必要なんです。

「意識は高いけど、品質が低い人」の残念な習慣

――『意識は高いけど、品質が低い人』。ものすごく刺さる表現ですね。どんな職場にもいる気がします。

小野 「相手をきちんと理解する」のが大事なのは、現代に限らず、原始時代でも同じです。そして現代は、特にそうした意識が必要になっていると感じています。

大切なのは「破壊的創造」ではなく、「協調的創造」

 平成元年と平成30年で「世界時価総額ランキング50位」を比較した記事が以前あって、平成元年は日本企業が上位50位の大部分を占めているんです。上位5位はまさに独占です。ところが平成30年になると、上位50位に入っているのはトヨタ自動車のみ。それも35位です。

 日本企業に勢いがあった頃は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のやり方が、すべてにおいて確立されていました。組織のあり方から、コミュニケーション、義務教育のカリキュラムまで、すべてが「製造業の時代」の勝ちパターンにばっちりはまっていたんです。

 でも「製造業の時代」から「情報の時代」へと変わり、本当は企業も、社会も変わっていかなきゃいけないんです。でも、成功したがゆえにやり方が確立され過ぎて、なかなか変わっていけない。それで、どんどん落ちてきてしまったっていうのが今の状況です。

 そもそも、ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代みたいに、「みんなが同じ方向を向いて、成功しているとき」はトラブルも起きないんです。