Post-IPOスタートアップの価値を評価する指標として浸透しつつある「PSR」。従来の株式投資ではマイナーであったこの指標が使われるようになったのは、なぜでしょうか? スタートアップに多いSaaSビジネスの構造を紐解きながら、その背景について考察します。
本稿は、Voicyの放送を加筆修正したものです。

Photo: Adobe Stock

年間売上高に対する時価総額の水準

朝倉祐介(シニフィアン共同代表。以下、朝倉):今回は「PSR」(株価売上高倍率)について考えます。株価や時価総額の水準を示す指標ですね。

PSRは「プライス・セールス・レシオ」の略で、年間売上高に対して時価総額が何倍か、あるいは一株あたり売上高に対して株価が何倍かを表します。

小林賢治(シニフィアン共同代表。以下、小林):SaaSの勃興で急激に使われるようになった指標の1つです。便宜上、これまでよく使っていた「PER」(株価収益率)、「プライス・アーニングス・レシオ」は、基本的に黒字基調であることを前提とした指標でした。ただ、成長途上のSaaS企業は先行投資で赤字となっている場合が多いので、代わりに年間売上高を用い、時価総額の水準を算定するということですね。

村上誠典(シニフィアン共同代表。以下、村上):テクニカルな話ですが、コーポレートファイナンスの教科書では本来、売上高で割るべきはEV(企業事業価値)なんですよね。ですが便宜上、時価総額で割ってしまえと。なぜなら成長期のスタートアップにとって、キャピタルストラクチャー(資本構成)はそんなに重要ではないし、これだけSaaSが勃興してくると、そうして見た方が簡易で分かりやすいということで、便宜上、一般的には時価総額が分子に使われているのかと思っています。

小林:確かに、証券会社の比較表をいただく場合、「EV/売上高」の式を使うことが多いですね。「株式価値+有利子負債-現預金」のようなEVも、あるにはありますが、便宜上、時価総額を代用してPSRが使われているのが現状かと思います。

朝倉:一般の投資家にとってより馴染みのある指標は、恐らくPERでしょうね。年間の最終利益に対して、時価総額は何倍かを表す指標です。「Aという業種では、PERが15倍程度が株価の適正水準」といった目安として使われます。

長いこと金融の世界に携わっていらっしゃる方の中には、PSRで株価の水準を論じることに対して懐疑的な方もいらっしゃいます。

「PSR10倍」は「PER100倍」に匹敵するカラクリ

村上:例えば、当期純利益のマージンが10%のビジネスモデルがあったとして、PSRが10倍なら、PERは100倍ということになります。つまり、10倍のPSRは100倍のPERに匹敵するほどの成長と利益化を先取りしているに等しいということですね。

現状、一部の市場参加者が過熱していると指摘される背景には、こうした強い期待感が反映されている点にあると思います。ただそれだけ、市場の長期的な成長とSaaSのビジネスモデルの収益化を確信した上で投資している方が少なくないというのが現状ではないでしょうか。

小林:投資家も単純にPSRだけで比較しているのではなく、どれくらいの収益性を出せるビジネスなのかというのをかなりよく見ていますよね。ステディステートマージンとも言いますが、最終的にどのくらいの収益性を実現できるビジネスかが重要なポイントです。

村上:その通りですね。ただし、その点を明確に開示している会社は日本にまだ少ない。freeeなどは最近、それが分かるような開示、グローバルスタンダードの開示をするようになりましたが。

ステディステートマージンが分からないと、投資家は相当細かく分析しなければならないので、そのあたりを明示できるかどうかというのもIR上の大きなポイントになりますね。

朝倉:ここ数年、わざわざPSRを用いる機会が多くなった理由を考えると、1つには、単純にボトムが赤字の成長企業が増えたために、PERで算定しようがないので仕方なくPSRを使い始めたという側面もあるのではとも思います。

村上:加えて粗利率の高いSaaSサービスが増えたという要素もあるでしょう。優良なSaaSサービスの粗利率は70%を超える水準です。一方で、昔ながらの製造業などは20%とか30%の水準。そうした既存のビジネスにとっては、PSRの議論は全くそぐわないと思います。

小林:PSRマルチプルが同業他社より低い会社は、多くの場合、粗利率の低さを補正してあるからなのですが、一目で比較しづらいですよね。

村上:SaaSの黒字化に必要なのは多くの場合、粗利率を上げることではなくて、販売の生産性アップですよね。認知を高めて顧客の獲得単価を下げ、面を取るとか。一方で、そうした生産性アップが可能かどうかということについて、現状は楽観的に見られている会社も少なくないんじゃないかと感じます。

朝倉:そういう意味では本来、SaaSの株価水準を図る指標としては、売上ベースのPSRではなく、粗利ベースで見てもいいんじゃないかと思います。顧客獲得に用いる広告宣伝費といった戦略的投資の原資は、粗利で賄っているわけですから。

村上:個人的には、粗利ベースで比較する方が、精度は高い気はしますね。

勝ち組企業のPSRマルチプルは高倍率が続く?

小林:PSRを算出するにあたって、売上高に過去12ヵ月分を用いるのか、次の12ヵ月の見通しを使うのかも論点になります。最近のスタートアップだと、NTM(Next Twelve Mont)、「次の12ヵ月間の売上高見通し×PSR」がよく使われます。PSRは成長率が高い会社ほどマルチプルの値も上がる傾向があるため、成長率が高い会社のバリュエーションを試算する場合、NTM、次の12ヵ月の数字も、それに乗じられるPSRも高くなるので、実はバリュエーションが二重に高くなりやすいという構造にあります。

村上:スタートアップで重視されている指標の1つに、MRR(月間経常収益)があります。上場後の機関投資家も、MRRがいくらの会社なのかというところにより注目しますし、それが高い会社であればあるほどプレミアが乗りますよね。

朝倉:今後もPSRという指標をモニタリングし続けることの妥当性について考えてみましょう。先行投資型の企業が評価されがちな市況に対して、「今に手のひらを返されるよ」とおっしゃる方も少なくありません。

村上:昔はPSRが懐疑的に見られていたこともあり、ディスカウントが入っていましたね。そのディスカウントが剥がれてきたことで、最近はPSRがすごく上がっているように見えますが、どう考えても「ユニットエコノミクスでそんなにマージンは出ないよね」という会社まで高倍率になってしまっているきらいがあります。

朝倉:「PSRなんて指標が使われているのは、バブルの象徴だ」といった見方もありますしね。

村上:世のSaaS企業のうち、何社くらいが十分なステディステートマージンを達成できるのか。個人的には3分の1程度だろうと思うこともあり、どこかでクラッシュするのかなとは思います。ただ勝ち組企業はその後、もう1回戻るとも思います。淘汰が進みながらも、勝ち組企業の中には、5年後もPSRのマルチプルが高い会社があるのではないでしょうか。

*本記事はVoicyの放送を加筆修正し(ライター:岩城由彦 記事協力:ふじねまゆこ)、signifiant style 2020/10/17に掲載した内容です。