TBSの“看板”を失った僕は、自分の無力さを思い知らされるばかりでした。

 テレビ局にいた頃は、名刺を出せば誰もがチヤホヤしてくれましたが、プルデンシャル生命保険の名刺を出しても、好意的な反応はまず返ってきません。なかには、「なんだ、プルか……」などと露骨に否定的な眼差しを向けるような人もいました。

 ある程度は覚悟していたつもりでしたが、実際に自分を否定されると心穏やかではいられませんでした。特に、それまで僕と親しくしてくれていた知人から、冷たくあしらわれたり、会うことすら拒絶されたりしたのは、心が砕かれるような苦痛を伴う体験でした。

「売ろう」とするから「売れない」

 それでも、前に進むしかありません。

 フルコミッションですから、契約をお預かりできなければ報酬はゼロ。家族を養うためにも、歯を食いしばって頑張るしかありません。どんなに否定されても、どんなにプライドを傷つけられても、がむしゃらにアポイントを入れて、営業に駆けずり回るほかないのです。

 しかし、入社して半年が過ぎた頃、はやくも僕は追い詰められました。

 保険営業は、親類や知人にアプローチすることから始めるのが通例で、僕もそこからスタートしたのですが、“義理”で保険に入ってくれる人がいる一方で、「保険を売ろう」とする僕に反発する人も多く、知人との人間関係が深く傷つくようなケースが増えていったのです。

 しかも、知人のよしみで保険に入ってくれた人も、僕にその知人を紹介してくれる人はあまりいませんでした。その結果、半年が過ぎた頃に、いよいよ新規営業をするために連絡をする相手が尽きてきたのです。

「このままいったら、終わる……」

 営業に駆けずり回っている時間は気が紛れましたが、一日の仕事が終わって眠ろうとすると、そんなヒリヒリするような不安で、胃がキリキリして眠れない夜も多々ありました。人間関係が傷つき、孤立感が深まる“どん底”の状況のなか、僕はただただ焦るばかりでした。

 この頃は、かなり辛い思いをしました。

 正直なところ、営業マンに転職したことを後悔もしました。

 でも、このとき「追い詰められた」のがよかったのだと、今は思います。「このままいったら、終わる」ことは明らかだったので、ほとんど強制的に「考え方」を変えざるをえなかったからです。

「もう、保険を売ろうとするのをやめよう」

 僕は、そう考えました。もちろん、営業マンにとって「目先の売上」は喉から手が出るほどほしいものです。だけど、「売りたい」のは営業マンの都合であって、お客様には関係のないことです。

 にもかかわらず、「売ろう、売ろう」とすれば、お客様から敬遠され、不信感をもたれるだけ。「売ろう」とするから「売れない」のです。それよりも、目の前のお客様に「僕という人間」を信頼していただくことのほうが、ずっと大事。「目先の売上」より「信頼という資産」を積み上げることこそが、営業マンにとって値打ちのあることだと考えを切り替えたのです。

 なぜなら、「保険に入るなら、金沢から入ろう」と思っていただけるような信頼関係を築くことさえできれば、その方が「保険に入ろう」と思われたときには、真っ先に僕に連絡をしてくださるはずだからです。あるいは、その方の親族や知人に保険が必要な方がいたら、僕を紹介しようと考えてくださるに違いありません。

 保険に入ってくださるのは、1年後かもしれないし、5年後かもしれないし、10年後かもしれません。もしかしたら、ずっと入ってくださらないかもしれません。だけど、それでいいのです。