リモートワークが長期化している今、わかりあえない上司と部下の「モヤモヤ」は最高潮に達しているのではなかろうか。さらに、経営層からの数字のプレッシャーが高まる一方で、
「早速夜更かししそうなくらい素晴らしい内容。特に自発的に動かない組織のリーダーについてのくだりは!」
「読み始めていきなり頭をパカーンと殴られた。慢性疾患ってうちの会社のこと? すべて見抜かれている」
「『他者と働く』が慢性疾患の現状認識ツールなら、『組織が変わる』は慢性疾患の寛解ツールだ」
「言語化できないモヤモヤの正体が形になって現れる体験は衝撃でした」
職場に活気がない、会議で発言が出てこない、職場がギスギスしている、仕事のミスが多い、忙しいのに数字が上がらない、病欠が増えている、離職者が多い……これらを「組織の慢性疾患」と呼び、セルフケアの方法を初めて紹介した宇田川氏。我々は放置され続ける「組織の慢性疾患」に、どんな手立てを講じられるのだろうか。著者の宇田川氏を直撃した。
同じナラティヴを生きていなくても、
ともに仕事はできる
前回、「社員が同じ方向を向いていることが大切だ」ということの危険性に触れましたが、さらに、「互いにわかり合っていると思い込んでいる集団」は、極めて脆弱です。
実際には全然違う風景が見えているのに、それを共有することが許されないからです。
それよりも、それぞれが違う現実を生きながら、必要に応じてそれぞれが見ている現実の断片を組み合わせ、立体的に新たなナラティヴ(narrative、生きている物語)を構築できる関係のほうが、よほど強いのです。
一つ面白い調査があります。
自殺の少ない地域を調査した精神科医の森川すいめいさんが書いた『その島のひとたちは、ひとの話をきかない──精神科医、「自殺希少地域」を行く』(青土社)で、森川さんはいくつかの自殺の少ない地域を回ってフィールドワークをしたのですが、そこで見えてきたのは、非常に興味深いことでした。
それは、自殺を予防できるのは密接な関係があることではなく、普段はそれほど濃いつながりを持っていないけれど困ったときは助ける関係だというのです。
これを私なりに解釈すれば、人間は互いに違うナラティヴを生きている。それぞれに人生のステージがあり、人生も多様だという価値観に同意しているのだと思います。
互いのナラティヴが同じという前提に立てば、相手の意外な言動に際し、「どうして違うんだ」と腹を立ててしまい、「あの人に何かが起きているのかな?」とは思わないでしょう。
一方、互いのナラティヴは違うという前提に立つと、「どんなことが起きているのか」と観察をスタートできます。「最近あの人の具合が悪そうだ」など小さな変化も感知できるようになります。
大事なのは、同じナラティヴを生きなくても、ともに仕事はできるということです。