自分の誇りを
揺るぎないものにするために

──教科書学校も、古賀さんが覚悟を持って「次代のライターの育成」に時間も労力も注ぐのは、どうしてなんでしょう?

古賀:根本として僕は、ライターの仕事に誇りを持っているんですね。その誇りをこれからもずっと持ちつづけたい。自分がこれまでやってきた仕事については、著者さんにも版元さんにも自分の責任を果たせる、一生の誇りにできるいい本がつくれた、という自負はあるんです。でも、これからのことを考えると、自分につづく若い人たちがどんどん活躍して、ライターが世のなかでもっと尊敬されて、その価値を広く認められるようにならないと、自分の誇りが揺らいじゃう気がして。ライターという仕事の価値を揺るぎないものにしていきたい。

道は最初に歩いた人だけではなく、後につづいて踏みしめる人がいないとつくられないじゃないですか。だから僕は、後につづく人たちを育てるために、自分にできることはぜんぶしようと覚悟を決めた。若い人たちがかわいそうとかではなく、自分の誇りを守るために。

「ライターは自分を変えていける仕事。」その価値を揺るぎないものにするために「自分の仕事に誇りを持ち続けるために、ライターという仕事の価値を揺るぎないものにしていきたい」

──ほおお。私含めこの本で、仕事に臨む姿勢、原稿との向き合い方が変わるライターは多いと思います。

古賀:うん、だからなんだろう。アドラーの思想って、弟子を名乗っていない人も、いつのまにか取り入れていって、いまも世界中で語り継がれていますよね? アドラーの名前を知らなくても、その思想だけは残っていて。アドラー自身もそれでいいと言っているんです。同じように僕も、この本に書いたことを、僕の知らないところで受け継いでくれる人がいて、思考や姿勢が残っていけばいいなと。古賀の名前は取れちゃってかまわないから。僕の弟子をつくりたいわけではないのでね。

「わたしたち」を主語にして伝えていく

──2018年4月のnoteに、教科書と学校づくりを契機に「ビジネス書のライターを辞める」と書かれていて。古賀さんはこれから、ライターとしてはどこに向かうんでしょうか?

古賀:はいはい。やっぱり、本のライターって「裏方のゴースト」と思われているじゃないですか。たとえばタレントさんのエッセイ本があったとして、実はライターさんが書いたものだと言われたら、がっかりする人が一定数いますよね。僕はそういう、世のなかの認識を変えていきたいんですね。

それで、日本の翻訳書って必ず、著者の名前の横に翻訳者の名前が並びますよね。表紙に。これ、欧米にはあまりない文化なんですよ。文芸でないかぎり、基本的に翻訳者の名前は表紙に入らない。それに対して日本の場合、明治期以降に「海外文学から学ぼう」という前提でたくさんの文学を輸入してきたので、その中継者である翻訳家の地位が高いんです。

──たしかに、この人が翻訳しているから読みたいって名前が浮かぶ人たちがいます。

古賀:ね、柴田元幸さんや岸本佐知子さんのように、翻訳家さんにファンがついている。同じように僕は、本の表紙にライターの名前が並ぶ世のなかに、なんとかもっていきたいと思っているんです。できれば僕が現役のあいだに。「このライターが書いている本だから、読みたい」という文化をつくりたい。もちろんこれから、僕がライターとして誰かの本をつくることはあるんだけど、その際は、著者と一緒に僕の名前も記載されるようにしたい。その意味で「ビジネス書のライターを辞める」ということなんです。で、自分ひとりだけでは文化はつくられないので、次代のライターを育てることにも力を注いでいる。

──はああ。『嫌われる勇気』『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』も共著者として古賀さんが表に立っていますね。ライターである古賀さんが解釈して書くからこそこのかたちになった、ということが表紙で読者にもわかる。

古賀:そういうことですね。

──なるほどー。わたしもフリーのライターとして、他者のフィールドで他者のことばを預かって書くことへの葛藤がありました。人に話を訊いて、自分というフィルターを通して、コンテンツとしてかたちにしていく。そこにはどうしたって「自分」が出てしまうのだけど、表に立つのは著者やインタビュアーで、発信元は出版社やメディア。何かあったときの責任を、表に立たない自分はどこまで追い切れるんだろうと。

古賀:わかります。ある種、隠れた存在ですからね。ライターって「からっぽの存在」で、「わたし自身が言いたい」ことはないじゃないですか。

──ないです。言いたいよりも、知りたい、伝えたい気持ちが大きい。

古賀:うん。ものすごくすてきな人やモノに出会ったときに、もっと知って、たくさんの人に伝えたいと思う。インフルエンサーのように「わたし」を主語にして伝えていくやり方もあるんだけど、ライターのように、その人のことばでありわたしのことばでもある「わたしたち」を主語にして伝えることに、価値を感じてくれる人もいるはずで。

僕は20代の頃に雑誌の仕事をしていたんだけど、雑誌って基本的に編集長のものだと思っているんですよ。編集長の思想が隅々まで行き渡っていて、編集長が変われば雑誌そのものが変わる。作家さんの連載は別として、雑誌記者が書いたものは編集長を中心とした「わたしたち」のことば。だから、からっぽの自分でも迷わず書くことができた。同じように、ひとりでは迷路に迷い込んでしまうようなメッセージでも、「わたしたち」だからこそ伝えられることってあると思うんですね。

──はい。だから古賀さんがこの本のなかで「ライターは『わたしたちから読者へ』手紙を書く人間」だと言い切ってくださったとき、「ああ、これでいいんだ」って葛藤へのひとつの答えをもらって。「あなた」の代筆をする「わたし」ではなく「わたしたち」を主語に、貢献し責任を果たしていけばいいんだ、と。自分の仕事を肯定できて嬉しい気持ちになりました。

古賀:うんうん。これってほかになかなかない、価値ある仕事だと思っています。僕はその価値を世のなかに訴え、身をもって証明したいんです。

「自分を変える勇気」はあるか?

古賀:それにライターって、新しい人に出会ってその都度その都度、自分を変えていける仕事なんですよ。僕もアドラーと岸見先生に出会って、大きく自分が変わりましたし。

──まさに今回お話を聞いて、自己犠牲ではなく、自分のために他者に貢献していく古賀さんの姿勢は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』に書かれているアドラーの教えに通じるものがあるなと感じました。

古賀:そうですね。それまでもアドラーや岸見先生の本を読んでいたけど、書いて考えてはじめて、自分のなかで消化できたこともたくさんあった。40代からの道を開き、自分を変えた仕事であることは間違いないですね。

──この本のなかでも、読者として、ライターとして「自分を変える勇気」はあるか?と問われる場面がありますね。

古賀:出会うタイミングによって、1冊の本が人生を変えることがある。でもそのためには「自分を変える勇気」が必要で。僕がこの本学校を若い人たちに届けたいと思うのは、まだ自分の軸が見つかっていないぶん、「人生を変える準備」ができているから。ある程度ベテランになってくると、ここは同じでここは違う、と自分のやり方との比較のなかで受け止めることになると思うので。もちろん「自分を変える勇気」さえあれば、何歳になってからでも自分を更新しつづけられると思いますが。

──まさに古賀さんは、ライターの仕事を通して、自分を更新しつづけている。そうやってつくった本が、読む人の人生を変えることにもなっていく。

古賀:だからこの仕事はおもしろい。自分という人間を更新できるのは、ライターや編集者の特権だと思います。そのたのしさを味わっちゃうと、やめられないですよ。

──ふふふ。この本学校も「自分を変える準備」ができている人にとっては、人生を変えるきっかけになりそうですね。

古賀:僕自身もこの本学校で、いまはほとんど接点がない、20代の人たちに出会いたいと思っています。5年後、10年後のトップライターになるために、いま本気で変わろうとしている若者に。僕とは価値観も考え方も違うだろうから、それこそ僕にとっても自分を変えるチャンスになる。このままだと自説にこだわった、面倒くさいおじさんになっちゃうから(笑)。若い人たちから学んで、自分を変えつづけたい。僕は本づくりと同じように、誰よりも本気の「自分を変える勇気」を持って、学校に臨みますよ!

【完】