著者自身が「アート思考」を
体現できていないとダメ

末永 先日、アート系書籍の編集者さんと話したんですが、アート専門の研究者はたくさんいるけれど、「この先生は中世の西洋美術」「この先生はルネサンスの誰々の絵画」みたいに、専門分野が決まっていて、すごく細分化されているそうです。

 当然、専門分野の知識は深いんですが、「研究者のあり方として、自分の専門外のことは語れないし、あまり語ってはいけない」という不文律みたいなものがあって。

 でも私はもともとは中学校、高校の美術教師ですから、西洋画や日本画、古典や現代アートなど、幅広くいろいろなものを有機的に結びつけて語れます。

 その編集者さんもアート系の本をたくさん担当されたそうですが、「細分化された深い内容しか書かれていない本が多い。だからそれをつなげる地図みたいな役割をしている末永さんの『13歳からのアート思考』はすごく新鮮でよかった」というお言葉をいただきました。私が専門の研究者ではなく、美術教師だからできたテーマだったんだなと、改めて気づかされました。

藤田 タイトルには「アート思考」とありますが、この本ははじめから「アート思考の本をつくろう!」と思って生まれたわけではないんですよね。そもそもの始まりは、末永さんの持ち込み原稿でした。それを読んだ僕が衝撃を受けて、この企画が実現したわけですが、その原稿には「アート思考」という言葉はいっさい出ていませんでした。

 編集者としては、原稿の内容はすばらしかったんですが、そのままマーケットに出しても売れないなという思いがありました。だから、ビジネス界隈で話題になっていた「アート思考」という言葉をあとからつけたわけです。ですから、本書で語られていることがアート思考なのかどうかは、あまり本質的な話ではないんです。

 それでも「アート思考の本」として売れた理由は、同じテーマを扱っているほかの本よりも、末永さん自身がアート思考を実践できているからだと思います。「アート思考が大事です」と言っている書籍それ自体がアート思考を体現できていなければ、説得力がありませんから。それが本のエネルギーになっているんですよね。

藤田 悠(ふじた・ゆう)

編集者/ダイヤモンド社 書籍編集局 第二編集部 副編集長

美術館で「これ知ってる!」しか感想が言えない人がやってしまいがちな「ものの見方」

京都大学大学院修了。同博士課程、日本学術振興会特別研究員などを経て、書籍編集者に。2014年より現職。
企画・編集を担当した『13歳からのアート思考』が16万部超のベストセラーに。そのほかの担当書に『ダブルハーベスト』(堀田創・尾原和啓)、『知覚力を磨く』(神田房枝)、『直感と論理をつなぐ思考法』(佐宗邦威)、『最高の休息法』(久賀谷亮)など。「人が変わってしまうコンテンツをつくる」がモットー。

末永 本で書いたことは、私が美術教師として公立中学で1年生にも教えてきた内容ですから、アートの専門的な知識そのものではありません。「常識的なものの見方から離れ、自分の答えをつくってみる」というテーマで教えてきた内容をもとに書いたものです。

 私自身、アートと向き合ってきてわかったことは、「アートの面白さとは自分の答えをつくってみることだ」ということでした。でも、たとえ美大生でも自分の答えをつくることの面白さにたどり着くまでに、まずは知識を得なければならないと思っている人は多いようです。得なければならない知識の量があまりに膨大なので、知識を得る段階から先に行けない、という状況があると思います。

 私も美大生だった頃、美術そのものはすごく好きだったのに、「西洋美術史入門」みたいな教科書は途中で挫折しました。その頃ルーブル美術館にも行きましたが、1つでも多く作品をインプットして覚えようみたいなことばかり考えていました。私のまわりにいた美術好きの人たちも、「まずは絵と作品タイトルを覚えて美術検定を受けよう」という人も多かったです。

 知識も必要かもしれませんが、学校で子どもに教えるときなど、最初は美術に関する間口や入り口をすごく広くしたい。入り口は広いけれども、内容は美大生でも楽しめるような深い内容にしたいという、授業と同じ気持ちで書きました。