いずれも間違っているわけではありません。それが私たちが普段行っていることです。私たちは何かバランスを欠いていると心がシグナルを送ってきたとき、外に解決策を求めるようになりました。心理的、精神的な欲求を、物質的な消費で満足させようとします。どうしてそうなったのでしょうか?
次のグラフを見てください。
満足度曲線とは?
満足感と支出額――通常はより多くのものを持つための支出――の関係を表すのが満足度曲線です。
生まれたばかりのころは、シンプルにより多くのものがより大きな満足感につながります。
まず基本的な欲求が満たされます。十分な食事ができ、寒い思いもせず、風雨をしのげる状態です。1枚の毛布と母乳によって解消された寒さや空腹の恐怖を記憶している人はほとんどいませんが、私たちは全員それを経験しているはずです。
不快なとき、泣き叫べば外から何かが提供され、その不快な気分を解消してくれます。まるで魔法のようでした。欲求は満たされ、生き残ることができます。私たちの心はそうした出来事をすべて記録し、記憶します。何か必要なものがあるときは、欲求を満たしてくれる不思議な魔法の機械に必要なものを察知してもらい(泣け、泣き叫べ、つかめ、手を振れ、言葉をしゃべれるならお願いしろ、何でもいい)、必要なものは届けられ、また幸せな状態に戻ります。必要なものがある。外に求める。手に入れる。満足する。そうしたパターンが記憶されています。
私たちはその後、最低限の必需品(食料、衣服、住居)を超えて、楽しいもの(おもちゃ、ワードローブ、自転車)を手に入れるようになります。そしてモノと満足度の正の相関がさらに強まります。
子どものときにどうしても欲しかったおもちゃを手に入れたときの、あの興奮を覚えていますか? もし責任感のある両親であれば、すぐに次のように諭してくれるはずです。「こういうものにはお金がかかるのよ。お父さんとお母さんが外で汗水垂らして、あなたのために稼いだお金なの。あなたを愛しているからよ」。新たなルールの登場です。
必要なものがある。外に求める。お金を稼ぐ。手に入れる。満足する。お金の価値を学ぶためにお小遣いを手にしました。いまでは自分で選んで、幸福を買うことができます。そうした経験がその後も続いていくのです。
最終的には、楽しいのさらに上を行く、ぜいたくなものを手に入れるようになります――ところがその変化には気づきません。
例えば、自動車は世界的に見ると、ほとんどの人が生涯手に入れられないぜいたく品です。一方で私たち米国人にとっては、初めて買った車でさえ、その後の長きにわたる車との付き合いのほんの始まりにすぎません。
初めての旅行、大学への進学など、私たちはもっとぜいたくな経験をしていきます。初めての一人暮らしも経験します。それぞれワクワクするものですが、興奮1単位当たりの支出はかさむようになり、ワクワクは以前よりもすぐに収まってしまいます。