世界の「今」と「未来」が数字でわかる。印象に騙されないための「データと視点」
人口問題、SDGs、資源戦争、貧困、教育――。膨大な統計データから「経済の真実」に迫る! データを解きほぐし、「なぜ?」を突き詰め、世界のあり方を理解する。
書き手は、「東大地理」を教える代ゼミのカリスマ講師、宮路秀作氏。日本地理学会の企画専門委員としても活動している。『経済は統計から学べ!』を出版し(6月30日刊行)、「人口・資源・貿易・工業・農林水産業・環境」という6つの視点から、世界の「今」と「未来」をつかむ「土台としての統計データ」をわかりやすく解説している。
世界を変えた「緑の革命」とは?
学生のとき「世界最大の米の輸出国はタイ」と習った方も多いと思いますが、現在は「インド」が世界最大の米輸出国となっています。
この背景にある「緑の革命」について説明します。
緑の革命とは、高収量品種の導入によって、土地生産性の向上を実現させた農業技術の革新を指した用語です。
高収量品種とは、文字通り「高い収量が期待できる品種」を指します。稲であれば、「米の粒数が通常の品種よりも多い」というイメージです。
1960年代、稲、小麦、トウモロコシの品種改良が進みました。1962年にはフィリピンのマニラに国際稲研究所(IRRI)が設立されると、IR8という品種の稲が開発されます。これが発展途上国の食料不足を解消すると期待され栽培が進められました。
フィリピンの米の生産量は1965年には約400万トンでしたが、1985年には約880万tへと倍増しました。
しかし、栽培には農薬や肥料の使用、灌漑設備の充実など多額の資本を必要とします。そのため零細農家は恩恵にあずかれず、富裕農家との格差が拡大したといわれています。
大飢饉からの食料革命!
インドでは1961年に大飢饉が発生し、そこでIR8を導入して食料不足の解消を急ぎました。最初に選考された生産地はパンジャブ地方。同地方にはインダス川が流れ、古くから灌漑農業が行われており、生産地として最適でした。
1960年のインドの人口は4億4831人。当時も人口大国であり、食料需要は非常に大きかったと想像できます。1961年の10アール当たり収量は150キロほどしかなく、人口増加に食料生産が追いついていないため、米の輸入を行っていました。
しかしIR8の導入によって10アール当たり収量は年々増大し、2006年には約340キロにまで増加しています。その間、1970年代後半には米の輸出国に転じて、特に1990年代前半からは米の輸出量が大幅に伸びました。
インドの人口増加は鈍化しておらず、1980年には6億9895万人、2000年には10億5657万人と、約20年間で1.5倍になりました。
人口を上回る水準で米の増産を実現し、それにともなって輸出余力が大きくなると、2012年にはじめてタイを抜いて、世界最大の米の輸出国となりました。
「緑の革命」以来、インドでは一度も飢饉が発生していません。
(本稿は、書籍『経済は統計から学べ!』の一部を抜粋・編集して掲載しています)