「どこかに行ってしまいたい」。仕事からも、絶え間なく携帯に送られるメッセージからも解放され、ここではないどこかに逃亡したい。そう思うことはないだろうか。しかし今の時代、自由に旅行することさえままならない。そんなときには地図をなぞって旅気分を味わうのはどうだろう。これを実現すべく、これまでありそうでなかった本が刊行された。『地図なぞり』だ。日本には魅力的な地形が多くある。そうした地形をお気に入りのペンでなぞってみると、驚くほどの没入感と「ここではないどこか」を旅する感覚を味わえる。本書を推薦する養老孟司さんも「なぞるだけ なのになぜだか ハマってしまう」とコメントを寄せる。本連載では特別に、この本からその一部を紹介する。
夏休みは下関へ
梅雨明け間近で30度をこえる予想最高気温が週間予報に並んでいる。
今年の夏も暑くなりそうだ。
でも大丈夫。クーラーを使わなくてもひんやりできる方法がある。
「怪談」だ。
しかしこの暑さ。
そこで今年は怪談を読んだり聞いたりするだけでなく、その舞台を訪ねることをおすすめしたい。
有名な怪談『耳なし芳一』の舞台は山口県下関市の赤間神宮。
今年の夏は下関を訪ねてみよう。
赤間神宮はJR下関駅からバスで約10分。
そんなアクセスのよいところにあの話の舞台がある。
下関は『耳なし芳一』だけではない。その地形と歴史が生んだ名所が多数ある。
中でも次にご紹介する三名所を訪ねてほしい。
これらの名所を訪ねるだけでも下関に行く価値がある。
平家滅亡の地「壇ノ浦」
まず有名なのは1185年の平家滅亡の地、壇ノ浦の戦いの「壇ノ浦」だ。
二位の尼が「波の下にも都がございます」と言って安徳天皇と入水したのがこの地である。
その安徳天皇が祀られているのが『耳なし芳一』の舞台と同じ赤間神宮。
駐車場の案内板には安徳天皇と二位の尼らしきふたりが元気にEnjoy! と言っていてなごむ。
『耳なし芳一』は平家滅亡後、平家の怨霊に呼ばれていった話である。
赤間神宮には平家蟹の標本もあり、予想以上の憤怒の表情に驚く。
おみやげに耳なし芳一のフィギュアなどを期待したが、「耳なし芳一」と書かれた小さな琵琶型のキーホルダーだけがあったので購入した。
赤間神宮の隣りにある料亭は下関条約の交渉が行われた場所である。
交渉役の伊藤博文行きつけのふぐ屋だから選ばれたらしい。
打ち上げ会場選びぐらいの気軽さだ。
いまも昔も交通の要所「関門海峡」
2つ目の名所は「関門海峡」である。
地図上の関門海峡は津軽海峡に比べると規模が小さいが交通の要所である。
MarinTrafficで見るとよくわかる。
『地図なぞり』にも関門海峡を通る「大阪・釜山ルート」のフェリー航路が載っている。
幕末の1863年、長州藩が外国船に向かって砲撃した下関戦争はここ、関門海峡が舞台である。
壇ノ浦などに砲台を設置し、関門海峡を通過する外国船を狙ったのだ。
下関戦争は長州藩vsイギリス、フランス、アメリカ、オランダ4国という戦いで、職場の運動会に大谷翔平が来てしまったような戦争だった。
武蔵と小次郎の「巌流島」
ふたたび時間を戻して17世紀。武蔵と小次郎が決闘した巌流島も関門海峡に浮かぶ小島である。
下関から船で10分で巌流島に行くことができる。
「ようこそ」と歓迎されるが巌流島は特に何もない島で、武蔵と小次郎の像とその解説の碑だけがある。
解説の碑には年表があり、1612年の決闘のあとは吉田松陰や斎藤茂吉が訪れたことが記してある。
そのなかに1987年のアントニオ猪木とマサ斎藤によるプロレス興行の記録が載っている。
「壇ノ浦の戦い」も「下関戦争」も大雑把に言えば辺境だからこそ生まれた事件である。
地形は歴史を生み、歴史は耳なし芳一やアントニオ猪木のデスマッチのような物語を生む。
まずは地図をなぞってその息吹を感じて欲しい。