「どこかに行ってしまいたい」。仕事からも、絶え間なく携帯に送られるメッセージからも解放され、ここではないどこかに逃亡したい。そう思うことはないだろうか。しかし今の時代、自由に旅行することさえままならない。そんなときには地図をなぞって旅気分を味わうのはどうだろう。これを実現すべく、これまでありそうでなかった本が刊行された。『地図なぞり』だ。日本には魅力的な地形が多くある。そうした地形をお気に入りのペンでなぞってみると、驚くほどの没入感と「ここではないどこか」を旅する感覚を味わえる。本書を推薦する養老孟司さんも「なぞるだけ なのになぜだか ハマってしまう」とコメントを寄せる。本連載では特別に、この本からその一部を紹介する。
遠ざかる海岸線
東京湾は明治以降、埋め立てを繰り返している。
そのため海岸線がどんどん遠ざかっている。
東京湾の端っこのラインに海岸線の位置の変化を書き加えたのが下の図だ。
ベースになっている地図は『地図なぞり』である。
明治までは築地が海岸線だったが、月島→晴海→有明→青海→中央防波堤とどんどん海岸線が遠ざかっている。120年のあいだに9km以上。とんだ地殻変動である。
いまは豊洲がキラキラした新興住宅地で、月島が下町というイメージだが、100年前は月島が新興の埋立地だったのだ。あと100年経ったらきっと豊洲のタワマンも下町である。
埋立地のネーミング
最新の海岸線である中央防波堤は、昨年「令和島」という地名がついた。
キラキラもここに極まれりという名前である。
ちなみに昭和島は羽田の手前にある。
ちなみに昭和島のとなりにあるのが「平和島」と「勝島」。
日中戦争のさなかに作られたのが「勝島」(勝利を祈って)で、敗戦後に名前がついたのが「平和島」である。ネーミングの方向づけが180度変わった。
「タイムライン」を追ってみよう
さて、どんどん遠ざかる海岸線の話に戻る。
言ってみれば東京湾を囲む銀座から令和島までは「タイムライン」のようなものだ。
遠ざかるにつれて新しくなる。地層は縦に重なって行くが、この一帯は時間軸が横に現れている。
歩くだけでタイムマシン気分を味わえるのだ。
この辺りをいちど歩いてみたことがある。
月島の民家が残る景色がやがて四角いビルに変わり、展示場やスタジアムなどの大型の建物が現れ(広い土地がある場所じゃないと作れない建物だ)、やがて建物がない広い土地になった。
これは都市が変化してゆく一端を感じられる散歩コースでおすすめだが、いまは梅雨、暑いし感染症も心配なので、まずは『地図なぞり』で疑似体験でもしておくか。
https://www.tokyoport.or.jp/43pdf_01.pdf