SNSに代表される現代の人間関係において、「共感がかつてないほどに重要なキーワードとなっている」と言われて異論がある人は少ないだろう。しかし共感は主観的なものであり、非常に捉えづらいものである(もちろん「いいね!」の数で測れるものでもない)。スタンフォード大学の共感研究における新進気鋭の心理学者として知られるジャミール・ザキは、「共感力は生まれたときから固定の才能ではなく、意識的に伸ばすことのできるスキル」と位置づけ、画期的な研究成果をあげている。今回、ザキが専門書ではなく、一般の読者にも広く共感について知見を深めてもらうための本としてまとめたのが『スタンフォード大学の共感の授業――人生を変える「思いやる力」の研究』だ。同書には、アンジェラ・ダックワース(『やり抜く力』)アダム・グラント(『Give & Take』)、キャロル・ドウェック(『マインドセット』)をはじめとするビッグネームからの賛辞が寄せられ、あいまいな共感をめぐる議論に一石を投じる本として世界中から絶賛の声が寄せられている。注目のこの本から、瞑想のようなトレーニングによって共感力が成長するという科学的研究について紹介する。

共感脳トレーニングPhoto: Adobe Stock

共感は人間に深く埋め込まれた本能なのか?

 ドイツの学術機関、マックス・プランク研究所の神経科学者タニア・シンガーの研究チームが、この命題にドラマチックな答えを出している。シンガーは脳のミラーリングの仕組みを有名にした科学者のひとりだ。

 2000年代初期に、恋人同士の被験者を起用して、ある実験をした。カップルの片方の脳をMRIで撮影しながら、交互に電気ショックを体験させる。すると、自分が痛みを感じているときの脳の活動と、愛するパートナーが痛みを感じているのを見ているときの脳の活動は、まったく一緒だった。共感力の強い人ほど、強いミラーリングを示していた。人によって思いやりの深さは違う、その違いは脳に深く埋め込まれている─と、科学者の多くが納得する結果だ。

 ところがシンガーはそうは考えなかった。博士課程で神経可塑性について研究していた彼女は、脳で何かが起きたからといって、それが固定されているとは限らないことを知っていたからだ。シンガーは仏教の教えに着目した。仏教では、共感の力を固定されたものとは考えない。仏教の伝統において、「コンパッション」(慈しみ)は、「行ずる」(修行する)ものだ。仏僧の多くが、それを毎日何時間も練習するのだという。

 神経科学者としてミラーリングを証明したシンガーは、こうした古来のテクニックが脳にやさしさをチューニングするかどうか試してみることにした。そして研究者や教師など70人以上の手を借りて、大胆かつ野心的なプロジェクトを立ち上げた。2年間をかけて、およそ300人の被験者に、39週間の集中瞑想トレーニングを受けさせるのだ。被験者は3日間の瞑想合宿に参加し、その後は日常生活での練習を通じて、瞑想のスキルを身につける。意識を研ぎ澄まし、呼吸に集中し、身体の感覚に耳を澄ます力を高めていく。

 自分の心を意識するトレーニングを終えたら、次は、他人に意識を向けるトレーニングだ。「愛と慈悲の瞑想」、パーリ語では「メッタ」と呼ばれる精神集中を学ぶ。このメッタ・メディテーションでは、誰かの苦しみがやわらぎ、幸せが増すよう願って、そのことに意識を集中する。最初は自分のことをいたわり、次に友人や家族など共感しやすい存在をいたわり、最終的には、他人にも、嫌いな人にも、生きとし生けるものすべてに対して意識的にいたわりの気持ちをもつ。

 シンガーの実験では、被験者をペアにして、お互いに共感しあう練習をさせた。ペアの片方が「語り手」となって、自分の気持ちを語る。もう片方が「聞き手」となって、語り手に対してメッタをする。それから役割を交換する。合宿後はスマートフォンのアプリを使って、同じペアで毎日これを実践した。

 このトレーニング・プログラムの開始前、進行中、終了後の被験者の様子を、研究チームは詳細に測定している。すると興味深いことが明らかになった。まず、瞑想の集中時間が少しずつ長くなっていった。情報があふれる現代において、集中力が長く持続するというのは非常にめずらしいことだ。

 また、自分の気持ちを深みのある言葉で説明するようになり、相手の気持ちも的確に表現できるようになった。まるで目の悪い人が初めてめがねをかけたように、彼らにとって世界は以前よりもあざやかになり、以前は気づかなかったささやかな物事にも意識が向くようになった。行動も以前より寛容になった。自分と立場の異なる他人にも、人間的な共通点を見出せるようになった。他人が苦しんでいる様子を見たときは、以前よりも強く、助けたいという気持ちを抱くようになった。

 変化はそれで終わりではなかった。研究チームはプログラム開始前と終了後に被験者の脳をMRIで撮影している。脳の生理的反応だけでなく、脳の構造、具体的には大脳皮質の形状と大きさも調べた。すると驚くことに、他人をいたわるトレーニングを積んだあと、共感をつかさどる部分に明らかな成長が見られたのだ。脳が学習や習慣によって変化することは知られていたが、この研究で、意図的な努力を通じて長期的な共感力を高められること、その過程で脳の形態が実際に変化することが明らかになったのだった。