やりたい仕事に出会えた矢先の経営破綻
黒田:次に入社したのが、コーポラティブハウスを展開していた株式会社都市デザインシステム(現・UDS株式会社)です。
コーポラティブハウス(上の写真)というのは、マンションを建てて売るのではなく、土地がある段階で入居予定者が集まり、共同で土地を購入し、それぞれが自由設計で家をつくり、管理していく集合住宅です。その過程で必ず入居予定者同士のコミュニケーションや調整が必要になってきます。
そうすると、2年くらい経って建物ができあがったときには、もうコミュニティができているんです。
星:「つくる人と使う人をつなげる」仕事のほうへ行ったら、コーポラティブハウスをやっていた現・UDSにつながり、使う人同士のコミュニティまでつくることになったということですね。
黒田:そして、使う人である入居者さんとのコミュニケーションはもちろん、施工会社、銀行などとの間にも多面的なコミュニケーションがあり、できあがるまでのコーディネイトが私たちの仕事でした。
星:都市デザインシステムにいたのは2005年から2008年ですね。
この間ずっとコーポラティブハウスのお仕事をされていたんですか。
黒田:いいえ。当時私が担当していたのは、ホテルをコーポラティブハウスのようにつくろうというプロジェクトでした。
ホテルも通常、つくる人と使う人が異なる段階で入ってきます。
そうではなく、両者が初めからプロジェクトに関わったら、よりいいホテルができるんじゃないかということです。
星:面白い試みですね。場所はどこだったんですか。
黒田:沖縄美ら海水族館の近くです。瀬底島(せそこじま)という、道路一本で沖縄本島とつながる離島でした。
ここに元々ゴルフ場が開発されていて、そこにホテルをつくろうということになりました。
全体のプロジェクト・マネジメントを担当し、まさに自分がやりたい仕事だったんですが、2008年のリーマン・ショックで、土地を抱えていた会社が倒れてしまい、その影響で都市デザインシステムもいったん民事再生の手続きをしています。
星:学生時代や設計事務所での挫折を乗り越え、やりたい仕事をしていた矢先の経営破綻、どんな気持ちでしたか。
黒田:経営陣が険しい顔で朝早くからミーティングしていたりしたので、ただならぬ雰囲気を感じてはいましたが、まさか会社がつぶれるとは思っていませんでした。
会社のことを全然わかっていなかったと反省しましたね。