唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。
外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント8万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊。たちまち8万部突破のベストセラーとなり、「朝日新聞 2021/10/4」『折々のことば』欄(鷲田清一氏)、NHK「ひるまえほっと」『中江有里のブックレビュー』(2021/10/11放送)、TBS「THE TIME,」『BOOKランキングコーナー』(第1位)(2021/10/12放送)でも紹介されるなど、話題を呼んでいる。
坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。
日本の死因別の死亡率
私たち人間は、何が原因で死を迎えるのだろうか?
それはもちろん人それぞれ異なるのだが、死因統計を眺めれば、一定の傾向は見えてくる。厚生労働省が公開している死因順位の年次推移を見ると、かつては上位に胃腸炎、結核、肺炎などの感染症が多く含まれることがよくわかる。一方、時代とともに、これらは顕著に減少する(1)。
かつて、日本に限らず世界でもっとも多くの命を奪っていたのは感染症だった。感染症による死亡が激減したのは、抗菌薬などの治療の著しい進歩や、ワクチン等の予防策の普及、衛生環境の改善によるものだ。
一方、世界を見渡せば、医療水準の低い途上国での死因は依然として感染症が多い。世界保健機関(WHO)の調査によれば、低所得国の死因一〇位以内のうち半分以上は感染症である(2)。上位に入るのは、肺炎、胃腸炎(下痢症)、マラリア、結核、HIV感染症などだ。
一方、所得が上がるにつれ、死因の上位は感染症から心疾患(心筋梗塞や心筋症など心臓の病気)や脳血管疾患(脳卒中)、悪性新生物(がん)などに置き換わっていく。戦後の日本も同様の傾向である。
死因全体の四分の一以上を占める
二〇一九年のデータでは、死因の1位は悪性新生物(がん)、2位は心疾患、3位は老衰、4位は脳血管疾患(脳卒中)、5位は肺炎であり、この上位五疾患で死因の七割近くを占める。
一九八〇年代から死因の一位を独走し、今なお増え続けているのが悪性新生物、すなわち、がんである。がんは今や、死因全体の四分の一以上を占める疾患だ。
がんの死亡率が伸び続ける最大の理由は高齢化である。年齢別のがん死亡率を表すグラフでは、五十歳代からがんによる死亡は徐々に増え始め、七十歳代以降はさらに急峻なカーブを描いて増加する(3)。
もちろん、がんの中には若い人に多いタイプもある。だが、総数からいえば、がんは圧倒的に「高齢者に多い病気」なのだ。
がんは、遺伝子に何らかの異常が起き、正常な細胞ががん細胞に変わり(がん化し)、これが無秩序に増殖したものだ。細胞に起こるこうしたトラブルは、長年「使い古した」体で起こりやすい。
不謹慎な表現だが、医療の進歩によって人体が「長持ち」するようになったおかげで、相対的にがんで死亡する割合が増えたのだ。「昔はなぜがんで死ぬ人が少なかったのか?」という質問の答えは、「がんになる前に他の病気で死んでいたから」である。
また、がんによる死亡率が年々増えることに対し、「がん治療は全く進歩していない」といった指摘が見られるが、これは誤りである。高齢化によって高齢者の割合が増えれば、必然的に「がんで死ぬ人」の数は増える。大学生一万人と、高齢者施設の入所者一万人の間でがん死亡者の割合を比較すると、後者のほうが大きくなるのは当たり前だ。
よって、がん治療が進歩したかどうかを知りたければ、年齢構成が等しくなるように調整して比較しなければならない。この際に用いるのが「年齢調整死亡率」である。年齢調整死亡率は、年々減少する一方である(4)。
実際、がん治療は近年驚くほど進歩した。新たな抗がん剤が次々に生まれ、手術の質が向上し、放射線治療や免疫療法など、使える武器がますます増えてきたからだ。
さて、がんを除いて、常に死因の上位を占めているのが心疾患と脳血管疾患(脳卒中)である。これらで亡くなる人の大部分は、生活習慣病が背景にある。生活習慣病とは、高血圧、糖尿病、脂質異常症(コレステロールや中性脂肪が高い病気)など、生活習慣と関連して発症する病気のことを指す。
かつて生活習慣病は、「成人病」と呼ばれていた。歳をとればやむを得ず現れる、防ぎようのない変化だと考えられていたためだ。しかし、食習慣や運動習慣の改善、肥満の解消、禁煙などによる病気の予防を重視する観点から、一九九六年頃に「生活習慣病」と呼ばれるようになった。
生活習慣病に共通するのは、自覚症状がなく、気づかないうちにゆっくりと体を蝕んでいく、という性質だ。高血圧や糖尿病、脂質異常症、喫煙などは動脈硬化を加速させる。これが心臓や脳の血管にダメージを与え、心筋梗塞や脳卒中といった致命的な病気を引き起こすのだ。
もちろん、これら以外にも、肝臓や腎臓、肺など、生活習慣病によって蝕まれる臓器は多くある。長年のダメージが体に蓄積し、数年、数十年という経過の中で重い病気を発症するのである。
ただし、生活習慣病の原因は「生活習慣だけ」にあるのではない。遺伝的な要因や環境要因なども、生活習慣病の発症に大きくかかわる因子だからだ。「病気になったのは自己責任」といった偏見はよくあるのだが、病気の原因はそれほどシンプルなものではない。
なお、生活習慣病という概念にはがんも含むのが一般的だ。特に喫煙は、さまざまながんを引き起こす生活習慣である。がんになった人のうち男性で三〇パーセント、女性で五パーセントは喫煙が原因とされ、喫煙者は非喫煙者より寿命が八~十年短く、一本タバコを吸うたび寿命が十一分短くなる、といわれている(5、6、7)。