「正しさを理解できない世間が悪い」という価値観
──ここ数年「はい、論破」というネットスラングも流行っているように、「何かと論破したがる人」というのも増えているような気もするのですが、そういう人は、そもそもどうして論破したくなってしまうのでしょうか。
本田:いろいろ要因はあると思いますが、小さな悩みや困りごとを相談できる相手が身近にいない、あるいは、人に頼ったり相談したりする習慣が身についていない、というケースが多いんじゃないでしょうか。
──相談する習慣が身についていない?
本田:身近に相談できる人がいる、ちょっとしたことでも頼ることができるって、社会に適応するうえですごく大切なんですよ。
私は長年、精神科医として発達障害の子どもを専門に診ているのですが、「人に相談できるスキル」を育てるのは学力の向上と同じくらい、いやそれよりももっと重要だとすら思っています。
──言われてみれば、仕事がスムーズにこなせる人は、他人に相談したり頼ったりするのがうまい印象があります。
本田:そうですよね。私は、社会に参加するためには2つのスキルが必要だ、と考えています。
ひとつは「自律スキル」──自分の能力の限界を知ること。「ここまでだったら自分はできるけど、ここから先は無理だ」という判断ができるようになること。
もうひとつは、「ソーシャルスキル」──他者に相談できること。困ったことや自分の手に負えないことなどについて、誰か信頼できる人に助言を求められること。
大人になるまでにこの2つのスキルが育っていれば、社会への参加がスムーズになる可能性も高いのですが、つい正論をぶつけてしまいがちという人は、どちらか、もしくは両方のスキルが欠けてしまっているのではないかなと。
自分にできないことを悪びれずに「できない」と人に伝え、必要なときには手を借りることができる。そういう習慣が身についていれば、仕事の失敗が減ります。
自分では正論だと思っていても、他者がどんな意見を持つのか、どんな反応が予想されるか、それについてどんな対策をとればよいかなど、自分だけでは予想しにくいこともあります。
そういうときに信頼できる相談相手がいれば,第三者の立場からの助言がもらえるので、もっとうまく仕事が進められます。
ところが、周りとうまくコミュニケーションが取れず、助言してくれる人が一人もいない状態が当たり前になってしまうと、いろいろなところでトラブルになって、疑心暗鬼になっていくんです。
「自分はこんなにも正しいのに、誰も自分のことを認めてくれない」と思い込んでしまう。
──なるほど……。周りに相談できる人がいないから、「自分は正しい」と主張したくなってしまうんですね。
本田:私たちは、生きていくためには、自分にはそれなりの価値があると思わずにはいられないんですよ。
だから、周りに相談できる人が誰もいなくて孤立していると、追い詰められて死にたいほどつらくなるか、あるいは、「自分の正しさを理解できない世間が悪い」と思おうとするか、どちらかに行きやすいんです。
本来、仕事で大事なのは、勝ち負けを決めることではないはずなんですよね。いろいろな人が集まってアイデアを出し合って、成果を出すのが重要なのであって。
でも、孤立感に苛まれている人は、なんでも「正論ふう」に言って周りを打ち負かそうとして、自分の正しさを力づくで認めさせようとしてしまうんです。