『バブルでGO!』の世界の後、政治は変わった
坪井 ところが、思いがけず翌86年、日本経済はあっさり回復するんだ。ただし、これはあとから振り返って分かったことで、当時は円高不況のイメージがとても強かった。だから、日銀は金利を下げたままにしておいたんだね。
一方、大企業は株や社債の発行で直接資金調達するようになっていた。だぶついたお金の融資先に困った金融機関は、これを不動産会社や住宅金融会社に回していった。これがバブルの引き金になったと思う。
―そこから資産バブルが始まって日本全体がウハウハになったんですね。
坪井 タクシーを捕まえるために1万円札をひらひらさせていた、あの時代だね。詳しくは『バブルでGO!』という映画をビデオで見よう(笑)。
総合保養地域整備法(通称リゾート法)*の制定など、政策もバブルをあおった。ただし、あまりにも株価や地価が高くなっていくと、社会不安が広がる。はちゃめちゃな上がり方だったからねえ。
*リゾート産業の振興と地方の発展を促進するため、余暇活動が楽しめる場を整備することを目指し、1987年に制定された法律
投資は基本的に人間心理の集合なんだけれど、こういう風に不安に思う人が多数になればあっという間に弾けてしまう。まさにバブル(泡)のごとく消滅した。もちろん、日銀も金利を引き上げ、政府は金融機関の不動産融資に規制をかけたりして、バブル退治に乗り出したよ。しかし悪いことに、この過程で当時の日銀や大蔵省幹部、金融機関幹部のスキャンダルも続き、エリートへの不信感も拡大していったんだ。
―素朴な疑問なのですが、「バブルなんて長く続かない」って分からなかったんですか? 生まれてこのかた、不景気しか知らない私からしたら信じられませんが…。
坪井 そうか。君は87年生まれだったよね。そうなんだよ、渦中にいると気付かないのがバブルなんだ。まあ、熱狂とはそういうものでしょう? 株価は1990年に入ると下落を始めたけれど、またすぐに上がると思っている人も多かったね。
こうしてバブルが弾け、その後10年にわたって生じた不良債権は総額100兆円にのぼったといわれている。「失われた10年」、あるいは「20年」が始まったんだ。バブル当時13あった大手都市銀行も結果的には3つ(りそなを含めると4つ)に統合された。不良債権で破綻した銀行は一時国有化され、公的資金によってきれいにしたあとで売却されていったんだ。
現在、世界的に2007年のサブプライム・ショック、2008年のリーマン・ショックやユーロ危機、欧州債務危機によって停滞しているけれど、危機の構造自体は90年代日本の危機とほとんど同じだよ。
そして、日本の政界が混乱を始めたのもこの時期からなんだ。景気が悪くなると政治批判につながるよね。
―確かに!「政治が悪いからだ、どうにかしてくれ」ってなっちゃいます。